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必要とされたらそこから去らなくてはいけないと、8年前の僕は日記に書いた。もう一度考えなければいけない。つくったものによって人に知られていくこと。自分の業績が世界に蓄積していくというのは、貯蓄の考え方そのものじゃないか。この考え方から離れるべきではないのか。書いてて恐ろしい。ちょっとどうかしてるかもしれない。しかし作家は自分の足跡を自分で作っていくもの。自分でつくった文脈を自分で踏襲して、先に進むもの。これはそうなんだろう。でもこれと、自分の実績が世界に蓄積して、評価が定まったりするのは、別の話だ。なにか新しいもの、良いものを作り続ければ、次の作品が注目されたり、人に見られたりする?それは弥生時代以降の貯蓄の考え方そのものではないか?まがりなりにも「移住を生活する」などと言う以上、世界に蓄積してしまったものはすべて壊すべきではないか?自分の足跡だけを見るべきではないか?キャリアとか、評価が定まるとか。すべてあの原発を爆発させた価値観ではないか?どうせ人生一度しかないし、その中で何度でも生まれ変わるべきではないか?年齢をリセットすることはできないとか、そんなことは関係ない。河原温は参考になるか。あるいは中原昌也みたいに自分の仕事を忘れていけばいいのか。

09141921 | 2021 | 未分類 | Comments (0)

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