「たった一人の中庭」/「時代の反対語が可能性」 | 



アトリエの前に転がっていた缶に「収集できません」のシールが貼ってあった。たまたまゴミ収集場所に転がって来ただけで、こんな結果になるのか!と思いました。

 

このあいだ、F/Tの

「たった一人の中庭」/ジャン・ミシェル・ブリュイエール

を観てきました。もともとフランスで敢行されたものを東京用にすこしつくりかえて持ってきたもののようです。ヨーロッパにたくさんあるけどマスメディアからは”ないものとされがちな”「移民キャンプ」を再現しているような展示/パフォーマンスです。

まず、ものすごいお金がかかったことが予想される大規模な展示でした。あと、「移民」や「強制送還」というキーワードがたくさんでてきました。もともと”アクティビスト”であったという作家の思想的な背景がよく反映されていました。

とても新鮮な経験でした。いま僕が住んでるこの国の表現は、この場合でいう移民キャンプや、中国でいうと天安門事件や共産主義に対するシニカルな視点なんちゃら、のような、とりあげるべき大きなテーマを正面から扱うことをあまりしない(というかできない?)ような状態にあると思います。そんなテーマ見当たらないのかもしれないけど、3月11日の震災以降も、それを語ること自体も、なんていうか「日々」みたいなものに回収されてしまっているように感じていた僕の目には、この作品はとても新鮮に映りました。

この作品は、社会問題をかなり正面から扱うことからスタートしていました。そして、それがその社会問題の枠を超えて、リアリティに訴えかけて来ました。たとえば、移民キャンプで黒人の生活を管理している(役を演じている)人達が来ている白衣が、最初の瞬間「防護服」に見えてしまいました。それに気付いてから、この作品は、移民キャンプを一義的に扱っているのではなく、おおきくこの社会というか、人の営みを捉えようとしているのだと思いました。

 

「明らかに社会問題ですよ」みたいな題材で、ある種の「弱者」に属している人たちのことを”使って”、このように”表現”するのは、いかがなものかという疑念も沸きました。

この作家は、アクティビズムと芸術について、インタビューでこんなふうに言っています。

ア ク テ ィ ビ ス ト は 、『 何 も し な い と い う こ と を 拒 絶 す る 』 目的 に達 す る た め に 行 動 し ま す 。ま た ア ク テ ィ ビ ズ ム に お い て は 、終  わ り な き 行 為 、 行為そのものの本質的価値が重要であり、それ以上の目的 はありませ ん。アクティビズムはこうした観点からすればすでに成功した行 為の 総体なのです。問いと結果の乖離によって、アクティビズムを的確に 区 別することができるでしょう。もしも、ある行為が具体的な目的を 持 っ て い  た ら 、そ れ は ア ク テ ィ ビ ズ ム で は あ り ま せ ん 。   例 えば シリア の 反  体 制 派 を アクティビスト と 見 なす 人 はいないでしょ う。彼らは、独裁者 を退け自由を取り戻すという、極めて明確な目的 のために行動しているので す。彼らは目的に到達するまで絶え間ない 危険に身をさらしながら行動しま すが、彼らはアクティビストではあ りません。

一方、今年のアヴィニョン演劇祭では、アサド大統領の独裁と 犯罪に対す る抗議のために何人かの演劇関係者が集合しました。感 動的な告発文を作成 した者もいれば、それにいち早く署名した者も いました。そのうち最も栄養 状態の良い 4、5 人は、炎天下のもとハン ガ ー ス ト ラ イ キ を し て プ ー チ  ン や イ ラ ン 、中 国 に 対 し て の 嘆 願 を 行 な い ました。こうした行為が 具体的な結果に結びつく確率は遥かにゼロ以下 で し ょ う が 、誰 が そ ん な  こ と を 気 に す る で し ょ う か ?   芸 術 は 、終 わ り な き 手 段 、ま さ に そ  の も の で す 。 芸 術 に は 終 わ り が な く、芸 術 をするということ 以 外 の  目 的 はありません

 

これを読んで、「”結局のところ芸術はお金持ちの道楽だ”という見方をされてしまう事から逃れられないな」と思いました。これを考えはじめると、いつも落ち込む一方になってしまうのですが。アーティストは、世界を変えるために活動するけど、世界が本当に変わってしまう事は望まない、何か目的をもった途端に芸術ではなくなってしまう、という矛盾の中で活動しなきゃいけない、と思います。

そして美術の役割は、僕達の社会やあなたという個人をなんとか相対化する。相対化する事で多様性を認め(同時に相対化した対象を批判して)ていく。ということだと思いました。

 

あと今日、AI KOWADAギャラリーに丹羽良徳さんの個展「時代の反対語が可能性」を観に行きました。

映像作品「首相官邸前から富士山山頂までデモ行進する」がものすごい良かったです。鳥肌がたちました。夜、風の強い富士山の山道を、「反原発」と書かれた赤い旗をもってもくもくと歩く丹羽さんの後姿は、同時に僕自身や、官邸前でデモ行進している人達の後姿でもあるように思えました。

 

あと映像の編集と見せ方が良くて、参考になりました。

 

「たった一人の中庭」/「時代の反対語が可能性」 | 2012 | 未分類 | Comments (0)

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