2013年1月23日24時56分 | 

チャールズ・ブコウスキーは、2時間を活かすために、10時間は潰さなくちゃいけない。用心しなければいけないのは、全ての時間を潰してはならないということだ。と書いていた。ちょうど21年と5ヶ月前の、このくらいの時間に。

彼は50歳を過ぎてから作家業に専念し始めた。それまで、日本でいうところドヤ街の日雇い労働者のような生活をしたり、郵便局で働いたりしていた。その歳月は、彼にとってとても苦しい時間だったけれど、彼は、自分が苦しい状況に居るということに対してとっても自覚的だった。そしてその歳月が、彼が作家になると覚悟を決めたときに「たわごとでお茶を濁してはならない」ということを教えてくれたと書いている。

僕は、誰かに何かを伝えるためとかではなく、自分を救済するために作品をつくりはじめたのだった。ちょっと忘れていたなあ。さいきん、再びそのことに気付くことができた。自分を救済できないことは、たぶん死ぬことよりも辛い。美術は表面的な実践だと思う。それを使って、地域に産業を根付かせようとしたりするのは、無理があるし、無責任だと思う。そのことを再び確認する事が出来た。

いま、ある地域に、ある種のお祭りを定着させようと頑張っている一人のアーティストを知っている。ある地域での日常を研究して、それを俯瞰するような、別の営みをその地域に定着させる作風を売りにしているアーティストも知っている。それはそれで勝手にやってくれればいいと思うけれど、それは表面的実践に過ぎないということを、当人は自覚しているのかな。それを忘れてしまったら、その地域に住んでいる人間が、素材として使われているだけのようで、なんだかなあ、と思う。もちろん、アーティストはある意味で詐欺師でなければいけないとも思うから、自分の価値を自分でつくっていかなくちゃいけない人種だと思うから、別に構わないのだけど。。

このあいだ武蔵野美術大学の卒業修了制作展に行った。そこで百瀬文さんという人の作品が結構話題になっていた。僕も観た。それは、とても「よく出来ていた」。時間を区切って、ちゃんと最初から最後まで見せる展示方法も考えられていたし、作品のアイデアもシンプルで分りやすかった。(アイデアが先にあったんだろうな、という感じもしたけれど)。そして、観た後にそれまでと世界が違って観えるような気さえした。でも、それでも、なんだか「嫌みな感じ」が拭え切れなかった。(僕と歳も近いせいもあって)作家への嫉妬心とかもあったのかもしれない。でも、それを考えても、なんだか素直に絶賛できないところがあった。たぶんそれは、ある意味で「よく出来すぎていた」からで、さっきの話を持ってくると、作家が「自分を救済するためにつくられたもの」というよりは「作品を置く」ということに執着した結果生まれたものだからかもしれない、と思った。

まあいいや。今日は高松から来たなタ書(古本屋)のキキさんと、香川出身のふじさわさんと、中塚と飲んできた。ふじさわさんの家で。

あいかわらず、どこまでが本当の話でどこからが作られた話なのかほとんど分らない、ちょっと天才的なキキさんの話法は健在だったけれど、僕が前に会ったときと比べると、今日はキキさんの話を「よく聞いて観察することができた」気がする。観察しようと思えば、どんな人が相手でもできる。そのとき、自分のアタマがちゃんと冷えていたらのはなしだけれど。

路地裏とかで、なんかわけのわからないイカれたおっさんにナイフで脅されたりしたら、観察とかできる自信はない。

あと、今日うちのアトリエにみかんがたくさん届いた。吉原神社の吉原さんが届けてくれたものらしい。僕もいまそれを食べながらパソコンに向かっている。

同居人の阿部君が

「このみかん、くそうまい」と言っていた。漢字で書くと「糞美味い」だ。糞うまい。

そして阿部君は、小山君に向かって

「みかんの面白いむきかたやってる人知ってるー?」

と言う。その「みかんの面白いむき方やってる人」を、インターネットで調べて小山君に見せている。それを見て2人は笑っている。

僕はそれを聞いて「なんてこった!」と思う。

あと今日、建築現場の資材運びのバイトを募集していた会社から電話がかかってくる。

電話口の彼女は「まだ仕事さがしてる?」と聞いてくる。タメ口であった。

僕は「はい。一ヶ月くらいの短期ですけど」と言う。

「一ヶ月でどれくらい入れる?」と彼女

「7〜10日くらいなら」と答える。

「いま、現場がきびしいところだから、経験者じゃないと使い物にならないんだよね〜。現場はいったことある?」

「あります」

「石膏ボード何枚持てる?」と彼女。

(おお!「石膏ボードを何枚もてるか」が、その世界ではその人の力量を表すのか!と、ちょっと新鮮な発見をした気持ちに。)

「石膏ボード3、4枚くらい持てないと、ダメかもねえ」と彼女。

「3、4枚くらいなら持てると思いますけど。。うーん。ちょっと考えさせてください〜」という感じで電話を切る。

こういう感じの一日。僕はいま、「さかい珈琲」のショップカード作成依頼のサブワーク「吉原神社にたてる看板作成」という仕事に取りかかりはじめている。明日から五日間くらいは、それに集中しようと思っている。ただし、26日になんだか面白そうな対談企画の打ち合わせひとつ、27日には英検の試験監督のバイトがあるのだ。これは、今月末にいく、ここ数年の僕に取っての唯一と言ってもいい娯楽「大学の友達との乗鞍山小屋一泊ツアー」のお金を稼ぐために。僕はなんだかんだ今月は10万円くらい収入があったのだけれど、3万2千円は二ヶ月分の奨学金返済に、2万3千円は先月のクレジットカード利用の引き落としに、2万5千円は今月の家賃に消えてしまうのだ。なんでこんなにお金がかかるんだ。そのうえ情けないことに、現在はまだ健康保険と携帯電話の利用代金は、親のお世話になったままだし、国民年金とかは一切払ってない。。空鼠を出るタイミングで、こんな情けない生活ともオサラバしなければいけない。もっと一人で生きていかなくてはいけない。僕はもっと、自分を追い込まなきゃいけないのだ。くそうまい蜜柑を食べて寝る。

(日付と時間をタイトルにした文章は、自分を鎮めるために書いています)

2013年1月23日24時56分 | 2013 | 未分類 | Comments (0)

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