1月25日15時57分 | 

大きな家の目の前には、小さな家がないと、大きな家は大きくあれないし、速く動くもののそばには、停まっているものがないと、その速さはわからないように、本当はないはずの客観性とか、本当はないはずの安心とか、本当はないはずの悪の定義とか、当たり前すぎて分りにくくなってしまった過剰な需要と供給とか、そういうものが、そういうひとつのものに過ぎないということを見せるには、それらをなんとか相対化して、複数のうちの1つにしてしまう方法を探すしかないのだ。制度を脱臼する方法をいくら探しても、それは終わりのないゲームみたいなもので、実は表面的な取り組みに過ぎないのだ。坂口恭平さんや、宇川直宏さんがやっていることは、ジャンルを抹消して、個人のレベルまで落とし込んでしまうことだと思う。宇川さんの取り組みをみると、それは鏡のように、宇川さんでない人たちの取り組みを教えてくれると思うのだ。それは、「宇川 vs 宇川以外の人類全部」みたいに、この世界をとても大きく相対化していると思うし、これほど攻撃的なことはないなあと思う。

1月25日15時57分 | 2013 | 未分類 | Comments (0)

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