2013年5月2日(木)22:10 | 

2013年5月2日(木)22:10

今日からフリーターである。

一昨日の夜から、国分寺の詩織の家に泊まっていて、さっき実家に帰ってきた。詩織は、大学の卒業単位が足りなかったので、あとすこし学校に通わなくては行けなくなって、いまも大学近くのアパートに住んでいる。僕は、今年の春には、詩織と一緒に西の方に移住をしようとぼんやり考えていたのだけど、詩織が大学に残るので、僕も東京の実家に半年くらい住んで、バイトをしてお金を貯めようとしている。バイトはもう始まっている。虎ノ門の駅前にある恵比寿バーのビアガーデン。

どんなバイトをしようかネットを見ていた時に、「ビアガーデン」の文字を見てピンときた。なんだか、わくわくさせるものがあった。

夏の間だけ、十五人くらい一斉にバイトを起用して、そのチームでビアガーデンをやりぬく。なんだかアートプロジェクトみたいだと思う。仮設のコミュニティ。いつか解散する事が分っていて、それでも集まっている人たち。

僕は、3月をもって、制作活動を止めた。つくりたい欲求はあるし、日々思う事はたくさんあるけど、いまは、かつてのようにそれを安易にアイデアに落とし込んだりしないで、ただもやっとした状態のまま心に漂わせているような感じでやっている。ぼくは大学を卒業してから2年間、浅草にシェアアトリエを借りて、ノリと勢いで「現代美術家」として活動してきた。後半は、それだけで生活できそうになっていたけど、このまま制作活動を続けると、自分が小さくなってしまうような、そこそこの作家で終わってしまうような、そんな恐怖があったから、東京を出ようと思ったのだった。そして、いまは制作の手を止めている。ちいさな仕事はすこしあるけど。

ぼくは、これまで、人生をなめていた。と思うようになる。詩織と、いよいよ2人で暮らしていくとなったとき、社会的な責任は大きくなり、なんとか稼ぎながら、家賃を払ったり、光熱費を払ったり、買い物をしたりして、やりくりしなくてはいけない数十年間が目の前に表れた、そのとき、僕は甘かった、と思った。

それまでも、うすうす感づいてはいたし、噂では聞いていたけど、

 

生まれてきた以上、死ぬまで生き続けなくてはいけない。寿命か、病気か、事故か分らないけど、何らかの力で自分の心臓が止まるまで、生き続けなくては行けない。この事実から逃げ出す事はできない。(自殺しないかぎりは)。そして、生き続けるためには、この高度に発達した、資本主義社会ではお金を稼がなくてはいけない。稼ぎ続けなくてはいけない。これは「自分がそこそこの作家で終わってしまうような気がする」という話とはまた違う次元の話だ。たとえ僕にそこそこの作家で終わってしまうような才能しか備わってないとしても、それでお金を稼ぎ続けなくてはいけない。現状に不満なら、死ぬか、自らを飛躍させるかしかない。飛躍できなければ、死ぬしかない。これは比喩ではなく事実であって、もう認めるしかないのだ。

 

昔の事をよく思い出すようになる。みんな過ぎ去っていった。とよく思うようになる。とくに、未だに詩織の家に行くため、ムサビ近くを通る時に。かつての気楽な学生生活(といっても当時は全く気楽ではなかったし、毎日必死に生きていた、だけどそれでも)は過去の出来事になったし、僕が卒業してからも残っていた後輩達も、いまではほとんどどこかの会社に勤めている。あれほど、馬鹿でだらしない人達だったのに。そんなことを言っている僕は、いまはもはやフリーターである。恥ずかしくなる。

ときどき「いつまでアーティストやっているの?」と、友達に聞かれる事がある。

僕は「そうか、そういう感覚なのか」と、かなり残念な気持ちになる。僕は、自分で思っている以上に、「社会」では「不適合者」なのかもしれない。

美術なんて何の役にも立たないのかもしれない。経済をまわしている彼らに比べたら、僕は何をやっているのだろう、とまで思うこともある。(それは間違っているのだけど)。でもあいにく、僕はこの道に深く入り込んでしまった。僕はこの道を「選んだ」わけではない。気がついたら深く入り込んで夢中になっていた。僕は「好きなことをやっている」意識はない。ただ死ぬまでに、なんとかしなくてはいけないって、それだけ思っている。

あの気楽で楽しい日々は思い出のものになってしまった。銭湯にいったり、夕日を見たりするとすぐにそんなメランコリックな気持ちになる。そしてときどき、かなりふかい闇がふってくる感覚がある。絶望に似た感覚。こんな風にして、あっという間に死んでしまうだろうという予感。

 

このあいだ、形成上野駅の地下通路で、清掃員のような服を着た人が、「作業中」みたいな言葉が書かれた黄色い看板を右手で持って、うつむいたままその腕を延ばして、振り子のように看板をブラブラさせていた。はじめその光景を見た時はすごくゾッとした。まるで、人が、可動部分が1か所しかない安いロボットになってしまったような、そんな恐ろしい光景だった。それはよく見ると、床に大きな案内のシールを貼ったばかりで、看板で風を送って乾かしているところだった。でもそれが分った後も、その光景は恐ろしかった。でも考えてみると、駅を行き来している人達は、みんなそんな風に、可動部分が少ない安いロボットのように、毎日を消化しながらも、そのなかで幸せを見つけているのかもしれない、と思う。この社会で生きるというのはもしかしたらそういうこと、それを受け入れるところから始めなくてはいけないのかもしれない、と思う。

 

とはいっても、僕は、いま戦略的にこれを書いている。ぼくは、可動部分が少ない安いロボットのようにはなりたくない。しかし、それを受け入れるところから、いったんは始めなければいけない。自分の限界をおしあげるには、いまのところこれしか思いつかない。社会的責任が強くのしかかる程、その表現に説得力が生まれてくるのだろうと思う。僕はまず、安いロボットになることを経験しなくてはいけない。この資本主義経済を微力ながら動かすロボットに。そこで孤独になって、深く絶望しなくてはいけない、と思う。

2013年5月2日(木)22:10 | 2013 | 未分類 | Comments (0)

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