2013年5月6日(月)24時04分 | 

2013年5月6日(月)24時04分

今日はビアガーデンのバイト研修最終日。

バイトをして、まわりの同期の人達を観察していると、例えばある男はだんだんリーダー的な立場になっていったり、ある女性は「みんなもっと返事をしよう」と周りに言うような感じになったり、ある人は「元気はいいけど言葉遣いがなあ」という感じになったり、そういう人柄のようなものが浮き上がってくる。これらは、その人が絶対的にもっているものではなくて、このバイトのこの集団だからこそ浮き上がってくる相対的な人柄でしかないのだ。たとえばリーダー格の彼は、はじめはそんなに目立つ感じではなかったけど、すこしずつまわりが見えてくると、代表的に上司に質問してみたり、指示を出したり、積極的に意見を言ったりして、そして、その意見や判断に自信がある。それは正しいとか間違ってるとかとは別の次元の問題なのだけど。そういう様子を見ていると、まわりも「このひとがリーダーっぽくなってきたから、こういうことはまかせよう」というふうになっていって、そしてだんだん彼のリーダー像ができあがっていくのだ。彼と、まわりがそう望むから彼はリーダーになる。

ということを思った。

 

 

AZUMA HITOMIちゃんの「フォトン」を買った。その特典DVDを見ているとき「夢と編集」について考えた。

例えばビデオで自分を撮る、カメラ(つまり、その映像を見る人)に向かって手を振る。そしてビデオを止める。

そうすると、編集していない映像には、カメラをつけるところから、手をふるところ、そしてビデオを止める所までうつっているはずだ。

それを、手をふるところで映像を終わらせるように編集する。

そして映像を見ると、ビデオをつけて、手を振ったところで映像が終わる。あたりまえである。あたりまえなんだけど、ここにすごくおかしな事がおこっているような気がする。映像が撮られたのは過去のことで、つづきがあるはずのことなんだけど、目の前の映像にはそれがうつっていないのだ。記録にのこっているのは手をふるところまでで、その後の手を振ってからビデオをとめるまでの一部始終は、本人の記憶の中にしかのこっていないのだ。

また、手をふったところで勝手にビデオが止まるようになっているわけないだろうから、この映像を初めて見た僕以外の人でも、「編集したんだな」ということはちょっと考えればわかる。でも、そこで何が切り取られたのか、どれくらい切り取られたのかはわからない。それは、ビデオをとった僕しかわからないのだ。

 

そして、夢のことを考えてみる。人間は睡眠時、浅い眠りと深い眠りを繰り返しているという。浅い眠りのときには、必ず夢をみているらしい。でも、そのあとに来る深い眠りでその夢を忘れてしまうらしい。だから、起きた時に夢をみたとわかるのは、深い眠りがくるまえに起きたから、それを覚えているというだけなのだ。これはとても不思議な事だと思う。

「夢をみている」まさにそのときの体験は、現在進行系で感じることができるものだ。でもそれは、変な言い方になっちゃうけど、”数分後に目を覚ましたときにその夢を覚えている”からこそ「夢をみている」という”現在進行形の体験”をすることができる。現在が未来によって担保されている、というか、現在が未来をつくるんじゃなくて、未来が現在をまさにつくっている、ということが起こっている。実際に起こっているのだ。

前々からこの夢と記憶がつくる時間のゆがみみたいなものは不思議におもっていたのだけど、今日、映像の編集でも、すこし近い感覚のことが起こっているんじゃないか、と思ったのでした。

2013年5月6日(月)24時04分 | 2013 | 未分類 | Comments (0)

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