2013年7月22日25時38分

2013年7月22日25時38分

 

安倍さんに「電力が足りているとは言えない」と言わせているのは、他の誰でもない、僕だった。

 

たぶんあなたは僕だ。彼女は僕だ。彼は僕だ。あそこで雑草むしりをしている鉄道作業員は、僕だ。テレビの中で原発を動かさないといけないと言っているのは僕だ。ドームを満員にしてコンサートをしているアイドルも、それをみて騒いでいるのも僕だ。僕の前で音楽を聞きながらiPadをいじっている青年は僕だ。

「わたしたちー!」と呼びかけたいぐらいに、彼らは僕なのだ。電車で十数キロ離れたバイト先に数百円で通う為に、バイトをしているのだ。すべてこの生活の為に、この生活はあるのだ。このあらがえない輪廻から解脱するには。

 

 

参議院議員選挙で、三宅洋平というミュージシャンが立候補した。「選挙フェス」というスローガンをかかげ、うたを歌うように街頭演説し、道行く人の足を止めていた。凄いのは「選挙は賢くなるチャンスだと思うんだよね。みんなで賢くなって、みんなで国会へ行こう。俺の事は応援するな。頑張れっていうな。おれもみんなを応援しているから。」という主張。「脱戦争経済と、環境問題の解決」をやりたいこととして、意見が違う相手とも、「チャランケ(アイヌの言葉で開戦前夜の話し合いの意らしい)して、言葉の粋を尽くして、ユーモア交えてとんちきかせて、思いを相手に伝える。で、相手の主張も、相手が何に乗っ取って、自分と違う主張をしているのかもちゃんと聞く。で、和をとって、お互いに納得できるようにすすめていく。誰も傷つかないようにする。」という主張もしていた。民主主義は、有権者がちゃんと勉強しないとうまく機能しないと思っていた。社会学者の宮台さんも「任せて文句言う社会から、引き受けて考える社会へ」ということをずっと言っていたけど、社会学者という立場を守りながら言っているだけだった。今回三宅さんは、立候補という手段を使って、ミュージシャンという職業はいったん置いといて「みんなで賢くなろう」と、本気で言っていた。わざわざ全国比例区から立候補して、全国をまわっていた。

結果的に落選したけど、17万票もの支持をあつめた。僕も彼に一票いれた。そして、もっと勉強しないと、と恥ずかしくなった。

彼の演説がたくさんyoutubeにのっているのだけど、そこに誹謗に近いような意見がたくさんあった。

彼は、意見が違う人達とこそ徹底的に話し合うべきだと言っているのに、そのステージに登ろうともしない人でたくさんいる。黒人を気取っているだけだ、とか、具体的に何がしたいのかわからないヤク中だとか、好き放題言っている人達がたくさんいる。(インターネットは、世界のみんなを繋いだんじゃなくて、インターネットという別の小さな世界をつくっただけなのかもしれないなと思う)。三宅さんがいう、人との対話「チャランケ」は、どうしようもないバカの壁、認識の壁、態度の壁によって、隔たれてしまっている。なぜそんなことが起こるのか。みんな自己批判の訓練を怠ってきたから。ひとが頑張っているのが気に入らない人たちがたくさんいるから。いろいろ理由はあると思う。

みんなが熱く議論できるほど、社会は単純にできていない、心のねじ曲がった奴もたくさんいる。

三宅さんは「理想主義者」なのかもしれない。と、思ったとき、三宅さんを「理想主義者」と言いたい僕の心の動きが、彼ら「対話をしようともしない人達」を生み出しているのかもしれないと思った。理想主義者は、自分のことを理想主義者とは言わない。

まあでもとにかく、あたらしい動きがでてくるのは面白いし、僕も勉強しなくちゃいけないなと思う。いまの30代でがんばっている人達についていき、追い抜けるように。

Posted by satoshimurakami