2013年8月15日11時24分

2013年8月15日 11時24分

終戦記念日(「玉音放送があった日」)

 

今日、朝の清掃のバイトに寝坊した。目覚ましをかけ忘れて、7時に現場についてなきゃいけないところを、8時に起きた。致命的な寝坊は初めてであった。でもなんとかなったけど。

 

いま内田樹さんの「日本辺境論」を読んでいる。そのなかで、日本人がものごとを決定する時に、圧倒的な権力を発揮する「空気」について書いてあった。

そして、僕はyoutubeで初音ミクを聞いていた。すると、第二次世界大戦で日本が戦争を開始したことと、初音ミクの出現がつながってきた。

初音ミクは、物理的には存在しない歌手で、彼女は主にインターネットの中にいる。ひろく人々の意識のなかに存在している人物。それは「空気」にちかいものだと思う。この国でこれだけ初音ミクがメジャーになったのは、この僕達に強く内在化している「空気への服従」とか「和をもって尊しとなす」的な性格が理由になると思う。

戦後、旧日本軍の偉い人達が「僕は個人的には反戦だったが、あのときは開戦せざるをえなかった」と口を揃えたように話していて、誰も「私は開戦するべきだと主張していた」という人が表れないというところに、日本人の「辺境人魂」が表れていると内田さんは書いていたけれど、これは要するに戦争を始めたのは張本人は「空気」であるということだと思う。そしていま、インターネットという道具を介して、「初音ミク」という「空気の張本人」のひとつのパターンが偶像化していると思った。

ヴェニスビエンナーレに、初音ミクを出展するべきだ。何人かのアーティストをコミッショナーに選んで、それぞれが初音ミクをビエンナーレ会場に出現させたりしたらとても面白いと思う。

 

最近急速にバイトに飽きてきた。やっていて何も感じなくなってきた。やっぱり、ずっとおなじい場所にいると、身体も精神も適応してしまう。「なんで自分はここにいるのか、なんでこんな事をやっているのか」という問いを常に立てられなくなってしまう。その場所に投入されてからあんまり期間をあけずに移動することが、常に問いを立てつづけるのに(つまり思考停止に陥らないために)適した生き方だと思った。

Posted by satoshimurakami