2013年10月18日26時56分 | 

2013年10月18日26時56分

 

イタリアから帰国して少し日があいてしまった。

いまこの時間でも頭が冴えている。今日の昼に6時間近く寝たから当たり前だ。これは時差ぼけなのか。夜にうまく眠れない。がんばって寝てもまた昼に眠くなる。

今回のビエンナーレの企画展は、イタリアのMarino Auritiという作家が構想した「The Encyclopedic palace of the World」(「全世界の博物学的宮殿」みたいな意味)というものから着想を得ていたらしい。アルセナーレ会場の一番最初の方にあった大きなタワーの模型のような作品は、そのモデルだそうだ。帰国してから知った。。

 

14日の15時50分の便でイタリアを出発して、15日の17時過ぎに成田空港に着陸した。帰りの飛行機の中で「MAMA」というホラー映画と「俺はまだ本気出してないだけ」という映画をみた。着陸の瞬間はBruce Springsteenの「Born to run」を聞いていた。

MAMAという映画がとても良かった。ギレルモデルトロが制作に関わっているらしいのだけど、ホラー映画の王道のようなストーリー展開をしながら、ラストで裏切られる。映画の中に不自然なところがない。なにか、あるシーンを生むために、登場人物にすこし無理をさせたりするようなことがほとんど無かったように思う。医者の先生が、一人で夜に山小屋に向かうところはちょっと?だったけれど。

最後の、MAMAが、自分の子供の遺骨を放り投げるシーンは衝撃的だった。人に勧めたい映画。

 

イタリアはとても楽しかった。後半は、ちょっと疲れたけど、帰りたくなかった。

町を歩いていて、看板も読めないし、歩いている人の会話の内容もわからないような環境にいると、自分が、本当は何が言いたいのか、何がしたいのかを、すこし深く考えるようになる。これがトレーニングになる。やっぱり、日本だけに居たらだめだ。

 

帰国してから、それまで以上にツイッターやFacebookを見るようになった気がする。なにか書き込みたいのだけど、何かが邪魔をする。これは本当に書き込むに値するものなのか、とか、そういうことをすごく考え込んでしまうし、ツイッターとかFacebookをやっていない人のことがもはやうらやましいと感じてしまうのだけど、なんでこんなことになってしまったのか。行き止まり。行き止まりだ。最近寒くなってきた。もうすぐ秋になり、葉っぱが落ちて、すぐに冬になっていく。僕の生活は死ぬまで続くだろう。この閉じた輪の中から逃げようとする試みも、すぐに僕の「生活」となってとりこまれてしまう。

革命をするのではなくて、僕の心と態度の問題だ。

言語を•貨幣を•服装を•文字を•身振り手振りを

1何か別のものに置き換える

2消し去る

3もう1つ追加する

 

もともと、僕たちは移動しつづけながら、狩りをして暮らす民族だったと仮定する。

ナウマンゾウなどの大型動物が、環境の変化に対応できず、絶滅してしまったあとの話。小振りな動物が増え、それを狩るために石器が発達した。また、狩った動物や、水を保存するための土器が作られるようになった。持っている物が少なかったから、動物達を追いながら移動が容易にできたころと比べて、土器がたくさんつくられるようになったりして、物が増えていくと、移動が困難になってきた。せっかくつくった土器を、捨てて去る訳にもいかないので、僕たちは定住をすることにした。共同体で集まって家を建て、食料を保存して冬を乗り切ったりした。そして多分、このときに「留守番」という役割が生まれて、「退屈」という概念も生まれたように思う。定住するということは、周辺の環境との関係をとても大切にしないといけない。昨日と同じサイクルを、今日も繰り返すことに神経を集中しないといけない。「生活」の閉じた輪がここから始まったように思う。

物が多くては、移動ができないというのは今も同じで、今では、物の生産が至上の価値であり、物の所有が社会的なステータスとなっていた時代の名残で、とてもたくさんの物に囲まれてしまっていて身動きがとれず、移動ができない。移動ができないというのは、たぶん想像力を殺す一番の方法なので、僕の知り合いの母親は鬱病になったりしている。

「留守番」と「鬱」には強い結びつきがある。つまり、定住と鬱には強い結びつきがある。

 

その後、農作が始まり、自分達の農地を持つようになった。すると、ほかの共同体との境界が生まれる。

そこから縄張りという感覚が生まれ、本格的な定住生活がスタートした。

聖徳太子以前の世界、豪族やら小国がたくさんひしめいていた時代。

大化の改新後、天皇を中心とした中央集権的な統治が始まり、土地は民に「貸し与えられたもの」という考え方が浸透した。貸し与えられた土地を、民は開墾する義務があり、その収穫から税収も行われた。

しかし生活が苦しく、土地を投げ出す者が多くなった。そうすると税収は減り、土地もだめになっていく。そこで、墾田永年私財法により土地の私有を認めることとなった。このとき最初の「土地の所有」という概念が生まれた。

2013年10月18日26時56分 | 2013 | 未分類 | Comments (0)

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