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家のすぐ近くに刑務所があって、そこに「刑務所作業品展示場所」という、誰でも入れるスペースがある。今日入ってみたら、全国のいろんな場所にある刑務所で作られた製品が展示販売されていた。いくつかは、既存のキャラクターものや、メーカーと共同でつくられたブランドものっぽい製品もあったけれど、ほとんどは、ただ「刑務所でつくられた製品」という事前情報のみで売り度されている商品だった。「
スケッチブック」と書かれたスケッチブック、革製の無地の財布、南部鉄器の鍋、碁盤、将棋盤、それっぽい模様が編まれている小物入れ、切り出した石に”可愛らしい感じの動物の絵”が描かれている文鎮、木製のテーブルなどなど。それらを見ていて、値段が「高い」のか「安い」のか判断できないことに気がついた。それらは、僕がお店で普段目にするような、事前の広告やパッケージのイメージがあって購入するものでも、口コミとかで購入するものでもない。純粋に、ただモノとしての商品。同じ物が別のお店で売っていて、こっちの方が安いからこっちで買う、なんてこともできない。たとえば財布があって、それがどれくらい丈夫で長持ちしそうかという基準だけで、値段が高いか安いかを判断することができない。製造する企業側の広告戦略とか、人気とか、そういう一切の情報がない、純粋な日用品。ちょっと前に、商品の値段は、その製造にかけられたコストによって決まるという話を、マルクスを解説しているような本で読んだけど、それで考えてみても、わからない。商品が買うに値するかどうかの判断基準はもはや、有用性とか、デザインの嗜好とか、いかに長持ちしそうか、とは別のところにあるような気がした。怪しい空間だった。普段目にしている、競争原理の中で作られている商品たちとは、完全に違う世界のもの。僕はどれも買おうという気にはならなかった。僕以外に誰も客はいなかった。これらはどのくらい売れるんだろう。ファンとかがいそうな気もする。ちょっと調べてみたら、刑務所作業製品の中で、函館で作られている「マル獄シリーズ」というラインナップがあった。円で囲まれた獄という字があり、その下に「prison」と描かれているロゴのシリーズ。スマートフォンのケースとか巾着袋とか前掛けとかがある。これらは、少し欲しいかもなあと思った。なんか自虐的なユーモアの匂いがして。メイドイン刑務所、という事を伝えるためにロゴを作り、消費者に買ってもらうためにわかりやすくシリーズ化している。面白い(というかマズイ)のは「欲しいかもなあと思った」その理由が、その商品の有用性とかでは全く無くて、「刑務所で作られている事を自覚してブランド化している」ということに対して思った、ということだ。こういうかたちで商品に接しないと、そのモノや買う価値があるのかないのかがわからなくなっている。こんなことは散々議論されていることだとは思う。「人々は、コーヒーやパソコンが欲しいのではなく、スターバックスでMacBookを開くというスタイル(イメージ?)を買うのだ」みたいなせりふも聞いたことがある。だけど、自分がそんな世界に浸りきって体質化しちゃってることに気がついて戦慄した。

12251531 | 2013 | 未分類 | Comments (0)

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