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この一週間はとてもたくさんのことがあって、思い出せる印象的なシーンがたくさんある。昨年は本当に毎日が同じことの繰り返しだった。そのためか、一年がおそろしく早く過ぎてしまって、もう去年の元旦から一年が過ぎてしまったのかと思うとぞっとする。生活は"いつも•既に"ここにある。僕が歩くとき、動いているのは僕ではなくて地面の方だと言う事と同じように、たとえ国家が解体したとしてもこの退屈な生活はここから動くことがない。必要なのは、この退屈な生活の、その場しのぎを繰り返すだけのこの生活の、日々の「違い」を見い出すこと。そして僕たちの生活を対象化•客観化すること。もっと言うとその対象化•客観化の地点でふみとどまる事。「違いを見い出している状態」にとどまり、変化している状態の物事に絶えず名前をつけ続けること。
そのとき。過去を振り返るときに注意しないといけないことがあって。それは「思い出す」ということは、過去に"逃げる"なんて後ろ向きな事ではなくて、いま生きている自分と"過去が共に在る"ということ。土屋先生も話していたように。思い出すという事は、過去が今この瞬間に出現するということ。そして、何かに取り組むたび、その終わりを想像して、その取り組みが終わったとき、取り組む前に終わりを想像したときのことを思いだすことで、ようやく行為が完了する。そうすることによって、過去のその出来事が「ひとつ」と数えられるようになる。そうやって対象化された過去のことは、いつでも現在の僕の前に出現させられる。時間が操作できる。同じように空間も操作できる。無音も音の1つだと、ケージが発見してくれたおかげで、静かな夜に耳をすませていると、この島でがんばっているみんなの声が聞こえてきそうな気がする。というか、どれだけ長い距離が互いを隔てていても、その距離のせいで、声がかき消されてしまったとしても、そのかき消された無音が僕の耳元まで届いているということになる。みんなの声が聞こえているということになる。距離が消え去る。そう考えるだけで静かな夜が、賑やかになってくる。そんなことを思いながら、二ヶ月前のオープニングのときと同じ道を辿って、吉備サービスエリアから備前一宮駅までの道を歩いて帰った。またあの道を歩く事もあるだろう。こわがることは何もない。ただあの道を夜に通るのは怖かった。そういえばこの正月で、レジデンスのお誘いもいただいた。それはとても"いい話"で、すこし前だったら迷わず飛びついていたけれど、いまは自分の計画があり、かつレジデンスの企画者が同世代で、すごく良いやつだったので、ぜひ仲間として一緒にがんばりたい、という意志を伝えた。彼女にもまた会うだろう。今日も静かな夜なのでみんなの声が聞こえてくる。がんばる

Posted by satoshimurakami