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先日の関東甲信越の大雪で、山梨県や埼玉県の一部、東京の西側がかなり深刻な状況らしい。死者は15名に増えて、たくさんの人が道路上で車の中に、あるいは駅のホームに、あるいは家の中に、もう3日間も缶詰にされていて、大月駅では駅に孤立させられている人にご飯の配給でカレーがきた、という写真も目にした。雪が、こんなにもこわいものだったとは考えたことも無かった。新潟県十日町市で積雪3mの地域で、生活を営んでいる人たちをみて、雪の扱い方を知っているし、冬にこれだけ大変な量の雪が降るから、地域のつながりも強くなる、という言葉も聞いた。けれど、普段降らない地域にたくさん降ると、積雪1mでも、命を脅かす脅威になるのだな。車で遠くまで買い出しにいかないと食料が手に入らない地域も多いだろう。道路に雪が1mもつもっちゃうと、除雪車も無いので、まったくなす術がなくなってしまうのだろう。国道が、獣道のような歩道になっている写真も目にした。僕は最初にこの状況をツイッターで知って、これは大変だと思い、家に帰って思わずテレビをつけた。普段テレビなんて全くと言っていいほど見ないのに、瀬尾ちゃんもつぶやいていたけれど、こういうとき、思わずテレビをつけてしまう。幼いころ、晩ご飯を食べながらテレビをつけていた体質が染み付いているのだと思う。ニュースと言えば、まずはテレビ、みたいに。でも、チャンネルをいくら回しても、大雪なんていうニュースはどこもやってなかった。NHKでオリンピック中継のあいまの数分間のニュースで、すこしだけやっていたけれど、「大雪で死者•負傷者がでています」というくらいの、数十秒間のニュースだけだった。大雪なんか降ってない地域にいるから、香川の放送局網のテレビをみているからというのもあるのだろうけれども、テレビを見る限り、僕がツイッターでみたあの大変な災害はまるでなかったかのようだった。インターネット上で普段から情報を収集してない多くの人は、単に情報として「ああ、雪が大変なのねえ」という程度の感想をもつ程度なんだろうと思う。それよりも、ロシアで行われている、氷の上で特殊な靴を履いてくるくる回る競技などで、日本人が良い評価を得た、という物語のほうが、下手をしたらリアリティがある。これはちょっとまずいな。テレビが、ある出来事を物語として語らないと、それしか見ていない人たちはリアリティをもてない。涙や感動や笑いを演出されないと、見ても面白くない。
それで気づいたのが、僕はどうも、ツイッターや、インターネット全般のことを、テレビや新聞やラジオなどのメディアの上位概念にあるものだと思っていて、(これは震災や選挙のときの、ツイッターとテレビの剥離、まるで別世界に存在するかのような印象をもった時にもぼんやり気づいていたのだけれど)それは間違いかもしれない。インターネットは、インターメディアではないのかもしれない。それは、テレビ番組がテレビ画面に表示されるように、ラジオがスピーカーから流れるように、紙としての新聞が玄関に届くのと同じように、パソコンやiPhoneなどのディスプレイに表示される、ひとつのメディアにすぎないのかもしれない。だとしたら、「なんでテレビでやってないんだ」という感想をもつこと事態、お門違いということになる。テレビにはやっぱり、特にオリンピックなんかは、放送権が高いとかいろいろ身動きが取りづらい部分があるのだろう。放送したくてもできない事情もあるんだろう。しかしそれでも、テレビはやっぱり今でも最も影響力のあるメディアだと思うし、そこでちゃんと放送するとべきだと思った。身近なところでおこっている災害よりも、オリンピックにリアリティを感じてしまう体質はどう考えてもやばい。僕は山梨県民ではないから、山梨県でどういう放送がされているのかわからないけれど、もしかしたらこことは違って、絶えず雪に関する報道がなされているのかもしれない。あるいは、ツイッター上で「災害に関係のない地域の人たちが、『テレビでなんで報道しないんだ』と文句を言うのは、己の情報欲を満たされていないことからくる不満にすぎない」という意見があった。もちろんこれもあると思う。でも、こういうことをいって何かを言った気になるような人間にはなりたくない。
「なんでテレビでやってないんだ」という、どこか切実でさえあるこの呟きは「なんで自分はそこにいないんだ」という意味にもきこえる。同じ国に住んでいる人たちが、住んでいるどころがたまたま悪かったというだけで、命をおとしてしまう、大変な思いを強いられてしまうというのに、同情したいのに、彼らがどんな景色をみているのか、同じ国民として知りたい。テレビがいま最大のメディアである以上、「同じ国民として、あなたたちのことをみていますよ」ということを、「テレビでやっている」ということを通して確認したい。というのは当たり前の心の動きだと思う。だから被災地だけで報道がされていればいいなんてことにはならないし、情報欲だけでは説明できるわけがない。

で、インターネットやテレビやラジオや新聞の上位概念としてのメディアがありえるとしたらそれは、やっぱり「個人」ということになるな。ちょうど東京ではメディア芸術祭が行われているけれど、厳密な意味でのメディアアートって、河原温のスタイルとかになるのだろうなと思った。メディアアートとしての個人活動。

02171234 | 2014 | 未分類 | Comments (0)

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