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僕はここには感じたことをなるべく正直に書こうとしている。なんで日記を公開するのかって言われたこともある。自分の精神状態をしずめるためにこれを書いているんだけど、それを公開する必要はあるのか。自分でもなんでかよくわからないけど、ひとつは自分が「移住を生活する」という生活そのものを含めた作品をつくっている以上、公と私の境界線があってはいけないという強迫観念に近いものがあるからだと思う。

ここに書くのは誰かに嫌な思いをさせるかもしれないような内容のこともあるし、あとで「あいつあのときこんなこと考えてたのか」って驚かれるようなこともある。でもほとんどの場合、それはそのときに思ってたことじゃない。それは「あのときこう思った。それをいま思い出しながら書く」という作業ではなくて、あとでこうやって文章を書きながらそのときのことを思い出して「あのときに感じたことはこういうことだろう」というように後から付け足されるものを言葉にしていくという作業に近い。簡単に言っちゃえば「あのときこんなふうに思ったことにしよう」というもの。

僕はそんな風にしてしか自分のなかで出来事を完結させることができない。こんな風に「あのときこう思ったことにしよう」を書いておかないと、自分の中でいつまでも出来事が終わってくれなくて気持ちが悪い。だからこの場所は「あの時こう思ってたけど言えなかったことをここで書く」というような愚痴の場では断じてない。なんでそんなようなことをわざわざ書くのか。僕は何もないところから「これをつくりたい」とは思えない人間だし「美術史に自分をのっけて新しいものを打ち出していく」というようなこともできないことも最近よくわかってきた。日々過ごす中で感じた違和感とか誰かの言葉とかに対して、自分を過敏に反応させて考えをめぐらしてアイデアを落としていくような作業のなかからでしか作品をつくることができない。そしてそれは言葉にされなくてはいけないし、公開されてなくてはいけない。だから「こんなこと書いたら嫌がられるかな」とどこかでは思いつつ、作家である以上こんなふうに書くことしかできない。

また「受け取る」ということは能動的なことだと思う。言葉を受けたり、誰かの作品を見てなにか思ったなら、それがその言葉や作品の意図だし、それが意味だ。それこそがその言葉や作品の存在価値だ。話し手や作り手の意図を第一とするのは良くないと思う。

 

昨晩からずっと雨が降っている。そういえばこの家で雨の中寝たのは初めてかも。ごくたまにどこから漏れてるのかわからない水滴が顔に落ちてくる以外水漏れはなかった。ただ底のぬれた靴の置き場に困るな。

新座でしりあった銅版画作家の田谷さんからメールがきた。いわき市のこのあたりに知り合いが住んでて、連絡したら僕に会いたいといってるらしい。自分の現在地を伝えたら、その人が親子で訪ねてきた。そして車で山奥の美味しいカフェまで連れていってくれた。その人の家は僕の家があるところから数キロ北にあって「うち来てください」と言ってくれたので明日はそこに家を置かせてもらうことにする。こんなのんびりペースで大丈夫なのか不安だけど。

その人は山をみながら「奇麗なところなんですよ。線量さえなければ」といっていた。ここは原発から60キロくらい。近くの海水浴場は去年から海開きをしていて、泳いでいるひともたくさんいるらしい。 カフェからの帰り道、突然車がパンクした。道路の脇に車をとめて、迎えが来るのを待つ。それまで僕たちを運んでいた車はパンクしたとたんに荷物になった。道の真ん中で立ち往生したときに不思議な感覚があった。普段は通り過ぎるだけの道に突如落とされて、動くこともできなくて、仕方なく道に生えてる花とか虫とかを観察してみたりして。

今夜は昨日知り合ったおばちゃんがやってる民宿に家をおかせてもらう。今日は客もいないから部屋に泊まっていいよ。サービスしてやっから、と言ってくれた。ありがたい。おばちゃんに「旦那はアルツハイマーだから、気にすんな」と言われた。

民宿に入ると旦那さんが大声で迎えてくれた。
「ほんと立派なもんだ。いまの社会ってもんは悪徳業者ばっかりでしっちゃかめっちゃかだからな。あんたみたいな人がこれから社会を支えていくんだからな。俺はもう頭がダメになっちまった」
と言ってた。おばちゃんはまた
「アルツハイマーだから」
って言っている。
いまこれを自分の部屋で書いてるんだけど、ときどき旦那さんが怒鳴る声が聞こえる。おばちゃん大変そうだな。

0527 | 2014 | 未分類 | Comments (0)

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