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福島県双葉郡富岡町。原発まで7.5キロくらい。

昨日立ち入り禁止区域まで行ったのをあんなさらっと書いてしまってよかったのか。一生で二度とないような強烈な体験だったはず。もう一度思い出しながら書いてみる。ひと気がなくて異様な雰囲気だったということは昨日書いた。植物がしげっていて、家はどれも崩れたり瓦が落ちたりしていた。鳥がやたらたくさん鳴いていた。この鳥たちの鳴き声がまた気持ち悪かった。変わった鳴き方をしているとかじゃない。実家近くの公園とかでふつうに聞いたら「奇麗な声だなー」とか思うんだろうけど、ここでは異様な響き方をしていた。

街全体が木々の緑色に覆われていて、そこに西日があたってとても奇麗。セシウムなんかは目に見えないので、頭で気にさえしなければなんてことないのだ。でもそれは間違いなく飛んでいるし、草木や土の至る所に付着している。目に見えない物がまちを覆っていて、そのせいで人が逃げていて、家はほっとかれて崩れている。そしてそんな目に見えない物なんて気にしない植物や鳥や虫たちが人の代わりに暮らしている。それは物理的に在るものなのに、頭で感じるしかない。見えないし匂いもないし音も出さない。そこにあるってことを忘れてしまったら、あるいは知らなかったら無いも同然。

なんかうまく言葉にできないけど、とにかくかなり不自然な状態。あってはいけない状態のまち。

 

今日も引き続き昨日の家(庭師のお父さまの家)に家を置かせてもらう。というのも、明日まで待ってくれればトラックの車検が終わって、三春町のあたりまで家ごと運んでくれるらしい。ここから郡山まで80キロくらいあって、あいだはずっと山道らしい。とても助かる。お父さまがぜひ三春町は訪ねて欲しいとおっしゃるのでそういうことになった。放射能のせいで海岸線が通れないのが本当にうざったい。

この家はとっても広い。門をくぐって切りそろえられた草木のあいだを歩いていって、玄関までで15メートルくらいある。僕は10畳間を一部屋まるまる使わせてもらっている。

「大きい家ですね」って言ったら

「このあたりでは普通です。ぼろぼろだし」と言われた。

家が大きいせいか、至る所に「電気を消す!」「奇麗に保つ!」というような張り紙が張ってある。良いな。聞いてみたらお母さんが貼ったものらしい。シェアハウスみたい。

 

外で家の絵を描いていたら近くのスーパーの駐輪場から

少年A

「いまってなんじ?」

少年B

「えーっとね。ちょっと待ってね。いま何時ですか?」

ベンチに座っていたおっちゃん

「二時半。二時半」

少年B

「ありがとうございます!」

少年A

「ありがとうございました!」

少年B

「二時三十分!やった!まだあと一時間遊べる!」

という会話が聞こえた。少年Bの「ありがとうございました!」ていうのが良い。子供の頃の1時間は今よりもずっと長かった。毎日「朝から夕方までの1日」っていう、確固たる量の時間があった。いまそれを感じることができなくなった。1日が過ぎた後に「1日があった」ってかろうじて思えるくらい。それもそのうち思わなくなっていく気がする。だんだんのびて1週間になって1ヶ月になって、時間の単位が人生っていう時間に溶けていく感じがする。


どれだけ良いことを言ったとしても、それで何かを言った気になっちゃいけない。どんな簡単なことでも「自分には何かができる」って思っちゃいけない。「これができる」って思った瞬間にそれはできなくなる。面白さや美しさは志向性のなかに宿ると思う。何かに向けて運動することそれ自体に美が宿る。早い話がいい気になっちゃいけない。答えを出してはいけない。自分の居場所を定めてはいけない。ここでこういう事を言ってそれで良しとしてもいけない。うまいこと言ったとか思っちゃいけないし、この文章を信じてもいけない。

05291642 | 2014 | 未分類 | Comments (0)

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