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今日も家は置いたまま。家を置いたままだとそれはそれで「動かさないと家が傷んじゃうかな」とか思ってしまう。家は人が出入りして空気が入れ替わらないとすぐにだめになってしまう。発泡スチロールの家でも同じ。

昨日に引き続き海岸沿いを見てみようと、電車に乗って美田園という駅まで行ってみることにした。

仙台駅で、高いヒールを履いて大きなスーツケースを二つ引きずりながら階段をおりている若い女性がいる。はたから見ていてかなりきつそうな状態で今にも階段から落としそうなくらいだ。僕の前を歩いていた男性が

「持ちましょうか?」

と声をかけたら女性は

「大丈夫です」
と答えた。男性はまさか断られるとは思っていなかったらしく、意表を突かれたような表情をして去って行く。僕は本人が大丈夫と言うならいいかと思って通り過ぎたんだけど、そのあと別の通りすがりのおばちゃんが

「持ちますよ」

って声をかけた。女性はまた
「大丈夫です」
と答えた。そしたらおばちゃんはそこで引かずに
「だって重いから。わたし力持ちだから」
といってスーツケースを半ば強引に女性の手からはがして持った。すごい。結果的に女性はそれで助かったんだと思う。本人が大丈夫だと言っててもスーツケースを持ってあげるべきだったのか。

「ヒールを履いて大きなスーツケースを引きずる」っていう行いの延長線上に「小さな家を担いで移動生活をする」という行為があるな。生活に伴う荷物を自分の体ひとつで持ち運ぼうとすると、まわりから滑稽に見えてしまうのだ。だから大きなスーツケースをヒールを履いて運んでいる女性を、まわりの人が手助けしようとするのはとっても自然な事だと思う。みんなその女性に同情するのだ。自分も多くの荷物を抱えているから。

そういえば大玉村のハーレー乗りのおじちゃんの奥さんは2011年の震災以降、いつ地震が来ても逃げられるように生活に必要なものを一通り詰めたバッグを玄関の横に置いていた。でも奥さんは「重くて持てないのよ」って言ってた。

「何が必要な考え始めたらあれも要るしこれも要るってなっちゃって、重くなっちゃったのよ。いざとなれば火事場の馬鹿力で持てるんでしょうけど。」

って言ってた。フランシスアリスの、人が風船を大量に運んでいる写真作品を思い出した。人が自分の体ひとつでこの大きくなった経済に見合った商売をやろうと必死になれば、人の体とは釣り合わない物量を持ち運ぶ事になって、それは滑稽に見える。今では少なくなったけどいまだに僕の実家のあたりには行商のおばちゃん達がいて、彼女らは自分の身長よりも高く積み上げられた段ボールをキャリーに積んで運んでいるのだ。その姿はこの大きくなりすぎた経済に、自分の体1つで対応しようと頑張っているようでとてもかっこいい。

 

後輩宅に泊まる最後の夜。後輩のご両親と宴会っぽくなった。

「明日から平日で自分たちも仕事だけど。いうなれば村上さんも明日から仕事だからな。そういう多様性が大事」

と言ってくれた。嬉しい。また海岸沿いを見てきたという話をきいてお父さんが「こうやって見てくれる人がいてうれしい。自分の生活をするので精一杯になっちゃって」と笑いながら話していた。

仙台空港の近くで、ほとんど一面草原のようになっているところに一軒だけぽつんと家が残っていたのだ。1階部分を波にえぐられていたけどすごく立派な家だった。たぶん何かの事情があって取り壊すわけにもいかずに残っているんだろうと思う。この家は、こんな状態で3年間建っていたのかと思うと絵に描かずにはいられなかった。かっこよかった。

0608 | 2014 | 未分類 | Comments (0)

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