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このあいだ石巻に向けてバイパスを歩いているとき、車が一台近くにとまり家族連れが降りてきて

「何やってるんですか」

と声をかけてきた。説明するとお父さんが「すげえ」と感動して、登米市にあるそのご家族の家の敷地に僕の家を置かせてもらうことに。今日石巻を出てそこに行く予定が、いろいろ人と会ったり紹介してもらったりしているうちに昼過ぎになってしまい、もう出発するには遅すぎる時間になってしまった。暗くなってから山道を歩くのはこわい。なので今日も石巻に滞在することに。こんなこともある。

今日石巻新聞の取材をうけながら「『家』において、基礎部分と上の箱の部分は分けて考えるべきだ」という話が口をついてでてきた。そうかそうだったのかと、話しながら感激していた。

家の基礎とその上の箱は別々のものとして考えるべきなのだ。僕は上の箱だけ持ち歩いているから敷地の交渉が必要になっている。本来人が生きるための家の機能として必要なのは屋根と壁だけなのだ。基礎なんてうつ必要ない。じゃあなんで基礎をうつのかというと、この社会のシステムのためだ。基礎をうって家を固定することによって誰がどこに住んでいるのかが整理しやすくなる。より円滑に経済をまわして行政を機能させるために家は基礎によって地面に固定されていなければいけない。先日のトレーラーハウスに住んでいる人の話によると、トレーラーハウスでは住民票が普通とれないらしい。動かせるから。家を動かされちゃ困るから車輪がついていたら住民票登録できない。そして住民票がとれないと、保険にも入れないし仕事もできない。

さらにその人は、仮設住宅に引っ越したとき「住民票はうつさないでいいです」と役所に言われたらしい。なぜなら家の基礎はまだ残っているからだ。津波に上の箱が流されても、基礎が残っていたらそこに住民票があるということになる。基礎が残ってれば住民票はそこにある。これは不思議と自然なことのように思える。そうだったのだ。

それに気がついた上で、今日石巻で津波の被害がもっとも酷かった一帯に行ってきた。だいぶ奇麗になっているけれど、基礎や塀が残っている家はまだまだある。一度これを見てしまったら、これを絵に描かずに町の方にいって普通に建ってる家だけを描く気にはなれない。それはとても不自然なことのように思える。だからそこで絵を一枚書いた。基礎しか残ってない家。描いていて突然涙がにじんできた時間があった。基礎。この基礎。愛と憎しみを込めて「基礎。基礎。」とつぶやきながら絵を描いた。

0617 | 2014 | 未分類 | Comments (0)

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