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今日久々に人からたばこをもらって思ったのは、喫煙も労働のひとつだということ。僕は去年までタバコを自分で買って吸っていたのだけど、ある日 嫌になってやめた。お金がかかるというのも理由のひとつだけど、あるとき突然自分の体が日本たばこ産業によってコントロールされている感じがし て「コントロールされてたまるか」と思った。タバコを吸い始めたらそれが日課になる。そうすると毎日毎日自分のお金をたばこ業界に支払ってその 煙を享受することになる。タバコ産業からしたら、喫煙者はとても勤勉な労働者になる。ちゃんと煙を毎日吸ってお金を稼いでくれるのだ。僕は尊敬 できない人の下で働くのは嫌だからバイトが嫌いなのだけど(だから3月までバイトしてたのだけど)、考えてみればタバコを吸う事も人の下で働く ことと同じようなもんじゃないか。だからやめられたのだな。タバコ産業に辞表を出すみたいなものだ。あぶないあぶない。

僕が小さいころもそうだったけど、4世帯もいるとそのなかに小さな社会ができて人間関係がすこし複雑になる。家族とはいつも一緒にいるのが基本 で、そうするとそのなかでうまくやっていかなくちゃいけないから、そういう環境で育った人は人間関係に対して感覚が鋭くなると思う。日々家で過 ごすことがすなわち社会勉強のひとつになってしまう、というか。というようなことを、久々に4世帯家族の一家と過ごして思った。今日は11時頃 にそこを出発。南三陸町に向かう。20キロくらいか。あるいている途中、登米市の一家がわざわざ交通安全のお守りを買って車で届けにきてくれ た。嬉しい。また会いたいな。次会うとしたら来年か。小学生だった長女も中学生になっているはず。それまで生きのびないと。
南三陸町もまた津波の被害が凄まじいところで、波にごっそりさらわれた海沿いの町は今では瓦礫が撤去されて、まっさらで見晴らしがやたら良くな っている。あちこちで重機が動いていた。海が全然見えないところに「ここより過去の津波浸水地域」っていう標識が掲げられていて、当時の町の人 たちの混乱が目に浮かぶようだった。歩いて移動する人が少ないためか、歩道はぼこぼこのままだった。でも人はとってもやさしくて、工事のための 交通整理のおじちゃんたちはみんな笑って声をかけてくれて、車道を横切るのを手伝ってくれたりした。ここでも警察に声をかけられて身分証を求め られたけど、その警官は「あなたのことは署に言っておくから。こんな人がいても怪しい人間じゃないって」と言ってくれた。
「南三陸町は小さい町なんだけど、最近立て続けに死亡事故が2件あったからくれぐれも車には気をつけて」
とも言ってた。
南三陸や気仙沼で事業を展開してる、ある会社の人に声をかけられて事情を説明したら。 「うちが前使っていたプレハブの小屋がまだ残ってるからそこでよかったら泊まっていいよ」 と言ってくれた。
行って詳しく話を聞いてみたら、どうやら震災で会社の事務所がだめになり、山の上の敷地に仮設のプレハブ小屋を建てて事務所に していたけど、そのそばに新しく事務所を建てたからいまプレハブの方は解体途中で、電気は通ってないけど和室の部屋なんかが残ってるからそこに 寝ていいとのこと。ちょうど雷が聞こえて雨が降り始めたところだった。嬉しい。その会社の何人かの人は2、3日前から家が歩いてるのを各地で目 撃していたらしい。そういえばツイッターで「歩く家がいるらしいよ」という写真付きの呟きを見つけた。「家を被って歩いている人がいるらしい」 ではなく「歩く家がいるらしい」っていう発想になっちゃうのは、これはゆるキャラに毒されすぎなんじゃないか。

Posted by satoshimurakami