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朝、東海新報の取材をうける。話していると自分でも整理がついてくる。いままで考えてきたことが、陸前高田の風景とつながってくる。
最近 ずっと「現場を動かすための装置•システム」と「なまの現場」の断絶のことを考えているように思える。 思い出すのはフリーター時代に大手企業が経営してるビアガーデンで、雨が降っても店を中止する判断がすぐに下せないために、外に並んで いるテーブルを雨のなか拭くという謎の時間を過ごしたこと。香川のバイト先でデザートをつくっているとき先にココアを入れてもダークチョ コレートを入れてもできるものは同じなのに、先にチョコをいれないとだめだと言われたこと。そのときチョコを他の人が使用中だったとし ても。これらの問題を考えるとき、十数前の福知山線の脱線事故がつながる。遅れたダイヤにあわせようとして速度を出しすぎた結果大勢の人 が犠牲になってしまった。もともと現場を安全に円滑にまわすためにつくられた装置が、ともすると人を操ってしまう。現場よりもその装置 に合わせる方が大切だという思考になりやすい。
中学生のとき先生が
「誰が見ても明らかに車が走ってない時は、赤信号で渡ってもかまわない」
と言ってた。
「だって信号は交通を整理するためにつくられたものだから」
そのとおりだと思った。そしてこれと同じ構図で生活のことを考えてみる。家の基礎は「装置」の側に属しているもので、上にのっている壁と 屋根でできた箱は「現場」に属しているもの。装置があるがために動けずに現場で多くの大切なものが失われてしまったのが先の、そして今も続いている震災のような気がしている。 そして山から土をけずって低地に送るための、陸前高田のこの巨大なパイプライン。装置によって考えられたものが、現場に直接落とされたら こういうことになるのだ。この現実離れした滑稽さは、この装置と現場の断絶からくる。そして家を担いで移動生活しているこのあり方は、こ の断絶を「むりやり現場の側から埋めようとした結果おこる」滑稽さがある。だから、陸前高田のパイプラインの滑稽さと、家が歩いている 滑稽さは少し似ているところがあると思う。

さて今日はお昼前に花畑のみんなと別れて大船渡に移動。知り合いが住んでる仮設住宅に向かう。途中で東京からのお客さんと合流。あっち は豪雨らしい。こっちはめちゃ晴れている。 この仮設住宅にくるのは1年半ぶり。
もう震災から3年経っていて、今では仮設を出て行ったひともだいぶ多いらしい。かつては復興に向け てみんなでがんばろうって感じで賑やかだったけれど、いまはもうそれぞれ自分の家の準備したりで黙々と忙しい。そんな「復興にむけてが んばろう」て言ってなんかやってる場合じゃない。あれ、なんかおかしな話だな。なんだこれ。それを復興っていうんじゃないのか。 「復興」っていうけれど。それはしばしば、とても派手なイメージをもって語られるけれど、本当はとっても地味で目立たないところでおこ ることじゃないか。生活って地味なことだから。派手なことじゃないから。その生活が立て直されるっていうことなんだから。復興ってとて も地味なことなんじゃないか。あんなふうに、10メートルも地面をかさ上げするようなことじゃないのでは。 まあいいか。で、今では住宅内の人間関係もいろいろと複雑になっている。そりゃそうなるよなあ。何が正しくてなにが間違っているのかが とてもわかりにくい。 そこですこし話しこんで、夜はこっちに住み着いてるアーティストの友達二人と合流。仮設屋台村で久々の再会もあった。嬉しい。みんなちゃ んと覚えていてくれるのだ。覚えていてくれるっていうのは嬉しいな。自分の存在を証明してくれるよう。
夜は友達二人の家に泊まらせてもらった。美術や建築の「生まれる現場」と「価値付けされたもの」の断絶の話などした。久々にこういう話したな。二人の家はとてもおかしな間取りをしていた。風呂よりもトイレの方がひろいんじゃないのか。

Posted by satoshimurakami