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東京の友達との他愛もないメールのやりとりのあと、何故か落ち込んでしまった。まだまだ弱いな。油断するとすぐに自信を失う。自信を失ってはいけないのだ。大丈夫。このやり方は間違ってない。あとは、移動していることに自分で気がつかなくなるまで移動し続けるだけでいい。
一人で潮目にきて、近くのお店でご飯を買って、瓦礫になってたのをわいちさんが持ってきたという非常階段の上にすわってご飯を食べていた。そこか ら潮目と、そして越喜来のまちを眺めた。ここもひどく津波にやられている。かなり高いところまで波が来たのがわかる。で、この潮目はその波で生ま れた瓦礫を使って建てられた建物だ。真ん中に柱が立っていて、そこに「越喜来 南地区 復旧拠点」と書いてある。鯉のぼりもぶら下がってる。ここ から他に瓦礫で作った滑り台とブランコ(津波で瓦礫になった船の底を使ってブランコにしている)と、記念写真を撮るために作ったというパネルも見 える。この記念写真スポットは、津波のため取り壊しになった近くの小学校の正門(わいちさんがひっぱってきたらしい)と、笑っている鬼が描かれた パネルでできている。みているうちに自然に涙がでてきてとめられなくなる。すごい作品だ。彼はこれを本当に純粋にここの子供とまちのためだけにつ くったのだ。大船渡の焼きそば屋のおばちゃんはわいちさんのことを「彼は人のための人だ」と言っていた。彼は自分が評価を受けるためでもなんでも なく、ただ子供たちまちの人たちのために、自分の仕事が休みの日を使って潮目をつくった。仕事が無くて暇だからつくったんじゃない。このために人 の敷地を借りた。あちこちで釘は出っぱなしで、雨漏りもすきま風もあるけど、内部はちゃんと僕が泊まれるだけのスペースと、パソコン作業ができる 机とイスまである。机は家の梁でできている。ちなみに2階建て。これを仕事のあいまにつくったのだ。潮目は津波の資料館としての機能だけじゃなく て、滑り台やジャングルジムやブランコがある遊具としての機能や、漫画が読める小さな部屋もある。
資料館としての普通の入り口の他に秘密のいりぐちがあって、そこのドアには「押す」という表示があるのに引かないと開かない。良いな。飛び出した 釘やら木材やらに気をつけながら狭い通路を通って階段をのぼると、黒いカーテンが下がっていて一部に切れ目が入っている。そばに「のぞいちゃダメ だよ」ってシールが貼ってある。さっきのドアの表示のこともあり、ここはのぞかせようとしているのだなと思う。カーテンをのぞいてみると奥に白い 写真が貼ってある。その写真には、派手な色のアフロのかつらと馬鹿みたいにおおきなサングラスといったパーティーグッズを身につけたわいちさんら しき人がうつっていて、こちらに向かってピースをしている。写真の下には
「わっ!見たなあ~」
と書いてある。うわ。やられた。ここでも突然涙が出てくる。かっこよすぎるだろこの人。こんな人がいるなんて。もういい年のおじちゃんなのよ。こ の人に美術なんて言っても全く通じないだろう。美術とか建築の価値、評価について考えなおしてし まう。こういうものをこそ「みんなの家」って呼ぶべきなのでは。
衝撃をうけると同時にすごく勇気づけられる。そうだこういうやりかたでいいのだ。自分のやりかた を信じればいいと教えてくれるし、自信を失ってはいけないと勇気づけてくれる。 落ち込む暇があったら。「無力だ」なんて嘆くひまがあったら、山積みの瓦礫を使って自分の空間を立ち上げろ。そして、そこがこの町の復興拠点だと 名乗れ。そういうことを教えてくれる。 陸前高田の佐藤たね屋さんは瓦礫をつかってお店とビニールハウスを作った。井戸も自分で掘って、たね屋には欠かせないであろう水もちゃんと湧いて た。水道がとまったからといって水がなくなる訳ではないのだ。
「ここらは5メートル掘れば水が出てくる」
「意外と人は死なないんだ」
って言ってた。なんてこった。
わいちさんは瓦礫をつかって休日を返上して遊具と資料館をつくった。橋もつくった。
「誰かがひとりでやって、あとでみんなで話し合えばいい」
って言ってた。すごい。
今日はその潮目に泊まってみる。今まで人が泊まったことは無いらしい。僕が泊まることによってここは家になる。そうすることによって僕はここを 「家120」として描くことができる。ちょっとこじつけたようなやり方だけどこれは描かないといけないから。

0627 | 2014 | 未分類 | Comments (0)

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