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今日は天気が良い。昨日雨で諦めた夏虫山と呼ばれているところに連れて行ってもらう。ここも素晴らしいところだった。もとは牛の放牧場だったらしいのだけど、原発事故以来、牧草の線量の問題で放牧することができなくなって、いまはただの草原みたいになっている。とっても見晴らしがいい。大きな岬が3本きれいに見える。岩手県の海岸沿いがうねうねしたリアス式だってことがよくわかる。ここからみると越喜来のまちも小さい。

2時頃いよいよ越喜来を出る。4泊した。これでお別れ。また別れだ。でもまた会うだろう。わいちさん夫婦と潮目の前で別れたあと、京子さんが来た時と同じように車でしばらく追っかけてくれた。この人はこの4日間でいったい何枚写真を撮ったのだろう。自分でパパラッチだって言ってた。そういう役回りなのだ。いいな。

今日はここから7キロくらい北上したの吉浜というところに向かう。そこに大船渡の知り合いの妹さん一家が住んでいて、紹介してもらった。でかい家だった。犬が1匹、猫が6匹、フェレットが1匹、亀が1匹いる。そしてまわりに家がない。そばに川が流れている。水道は井戸水らしい。賑やかな家族で、ご飯を食べるとき僕はほとんど話さずとも、みんなの会話を聞いてるだけで参加したような気分になった。特に二人いる娘さんは両方とも、自分の会話の出だしから終わりまでをあらかじめ決めているかのように、理路整然としてはっきりと大きな声で話してて、聞いてて気持ち良い。

夜、インターネットで集団的自衛権の解釈変更に対する首相官邸前抗議が盛り上がってる様子の映像をみていた。僕は自分がそこに行けないことが悔しくて、せめて見守ろうと思ってみていたのだけど、そこにたまたま、イースタンユースの吉野寿さんが映り込んでいた。彼も他の人たちと同じようにメガホンをもって「アベはやめろ」っていうコールをしていた。その絵はけっこう衝撃的で、ふだんyoutubeでみているイースタンユースのライブ映像の、あの叫び狂う吉野さんではなく、純粋に1市民としての吉野さんだった。そうだ。デモに参加するっていうことは一粒の砂になることなのだな。また友達のシンガーソングライターが自分のツイッターの(半ば宣伝用の)アカウントで今回のデモがあることを拡散していて、それに対してファンから「そういう呼びかけをするあなたにはがっかりです」と言われていた。そういう政治的なことと、普段の音楽活動とは分けて考えてくれとでも言うかのように。例えば投票した候補者が中の良い友達と違ったら、あるいは好きなアーティストと政治思想が違ったら。その友達にがっかりしてしまったり、そのアーティストの作品が嫌いになるのか。音楽家は音楽だけやってればいいのか。そう考えてしまうってのは、あたかも「日常」が存在するかのように思っているからだろう。自分たちのこの日常は、他と切り離された確固たるものとしてあるっていう幻想に取り憑かれているからだろうな。それは普遍のものとして今まで永久に存在しつづけてきて、これからも存在しつづけるって無自覚に思っているからだろうな。選挙で投票する候補者を友達や家族と議論するっていう育ち方をしてこなかった。他の人がどうだったのかわからないけれど僕のまわりの様子を思い出すと、選挙が近づくと「選挙には行きなさい」とは言われるけれども、誰に投票するかっていうのは、さも絶対に口外してはいけない爆弾みたいな話題として扱われていたイメージがある。それがその人と違ったら、関係がこじれてしまうんじゃないかとか、そういう不安があったのだと思う。それは、日常を絶対視していたんだと思う。でも震災以降それはどうもおかしいというかそのころの呑気のせいでこんなことになってしまったのだって思って、友達とも不慣れながら選挙の話をしたり政治の話をしたりするようになった。だからその友達のミュージシャンがデモのことを拡散していたのを知った時はとっても嬉しかった。ファンに「がっかりです」なんて余計なことを言われなくとも、拡散することに対する葛藤はあったんじゃないかと思う。久しぶりに会いたい。

0630 | 2014 | 未分類 | Comments (0)

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