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集団的自衛権の解釈変更が閣議決定で成されたらしい。で、今日も昨日に引き続いて首相官邸前で抗議活動があったよう。震災以降デモが身近になっている気がするけど、今回ははじめて「震災とは直接関係無い話題」に対する抗議活動が盛り上がった気がして、もうデモは誰もが参加できるような感じになったのだなと、思ったけどこう書くとこれは第三者目線で偉そうな感じがして嫌だな。お前はどの立場からそんなことを言ってるのだ、出来るのだってことがあまりにも多くて麻痺してしまいがち。

今日は家は動かさずに、吉浜の家の絵を描いたり近くを散歩したりしてた。夜に友達と電話などする。その人も2日連続でデモに参加していて、帰り道に強い無力感を味わって悲しくなったらしい。デモに初めて参加したけれどそのさなかに「こんなことやって何になるのか」っていう気持ちはずっとあったと。でも何かできるときにやっておかないとって思って参加していたらしいけれど、それによってなにか現状が変わるわけでもなく、悲しい気持ちになったらしい。で、僕は陸前高田の佐藤たね屋さんと、越喜来のわいちさんの話をした。佐藤たね屋にも、わいちさんの潮目にも希望しかなかった。

「男なら見とけ、アルミ缶のふたがジョイントの金具になるんだ。そしてこれは、震度7でも壊れない」

今思い出しても泣きそうになる。砂埃が舞いダンプカーやらショベルカーやらの大型重機の音で騒々しいなか、佐藤さんは大きな声で話してくれた。その一言一言の切実さはまるで言霊が飛んでくるみたいだった。その時感じた希望は、そのまわりの景色に乱されることが無かった。彼のその短い言葉と、かれが瓦礫でつくった小さなビニールハウスは、復興のために土地をかさ上げするべくたくさんの重機が動いて何百何千トンっていう土が盛られていく景色よりもはるかに強くて純粋な希望を感じた。

彼からしたら、なんともならない最悪の事態なんて存在しないんだろう。生きるための小さな工夫の積み重ねによって、あらゆる災害は克服できるって言ってるみたいだった。土を10メートルも盛る必要は無いし、海が見えなくなるまで堤防を高くする必要もない。ただアルミ缶のふたをジョイントの金具に転用して、水道がとまれば土を5メートル掘ればいいって言ってるみたいだった。その小さな工夫だ。

みんなが家をあるいは店を流されて、これからどうしようって呆然としているとき、彼は流された店の基礎の上にプレハブ小屋を建てて一人で営業を再開したのだ。

「俺はこれで生計がたてられてるから大丈夫なんだ」

って言ってた。

潮目のわいちさんは、自分を勘定にいれることをしない人だった。例えば「落ち込む」ためには、自分を勘定にいれる必要がある。目の前の悲惨な状況の中にいる一人として、自分を数に数える必要がある。そうしないと落ち込むことはできない。でもまるで彼は、その状況の中に自分はいないかのように、まるで世界には「他者しかいない」かのように考え、行動しているみたいだった。人のための人だった。そんなこと可能なのか。こんな人が本当にいたのだ。すごい人に会ったと思った。潮目は、そんなわいちさんが子供を始めとした町のみんなのためにつくった遊具兼資料館。遊具と資料館を兼ねた建物なんて聞いたことない。その造形のひとつひとつや遊ぶにあたっての注意書きがいちいち心に刺さった。

例えばブランコは、瓦礫だった長い柱に、同じく瓦礫だった船をぶらさげてつくってある。わいちさんは「船酔いするから気つけろ」って言ってた。そうか船だからそれは船酔いになるのか。すごい。ただのゴミになってしまった船がもう一回生まれ変わったみたいだ。

例えば注意書きは「自分ができることを他の人みんなができると思うな。無理に誘うな」とか「後輩と女の子には特にやさしくしろ」とか。そういうことが書いてある。やさしい。

 

そんな希望しかない二人のおじちゃんの話をしたら、電話先の友達も泣きそうになったらしい。ありがとうっていってくれた。あんな希望を見せつけられてしまったら人に伝える義務があるな。伝えなくちゃな。

 

0701 | 2014 | 未分類 | Comments (0)

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