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僕の家は、家だけど家じゃない。僕は家を呼んでるけど、他の人がこれを「家」と呼んだり、発泡ス
チロール製の瓦を「瓦」と呼んだりしたとたんに、このイリュージョンの仲間入りをしたことになる。ママゴトの世界へようこそって感じ。

今日は早く目が覚めた。自分の家の窓を開けて外を眺めてみる。台風はまだ近くにいる。風は弱まっ たけど雨が強くなってる。カラスが蝉を捕まえた。蝉が鳴き叫んでいる。カラスはそれに構わず、ケ ヤキの木の枝の上で蝉を食べはじめた。
ツイッターで「酒田市か鶴岡市で家を置かせてもらえる所を探してます」って呼びかけてみたら岩手の瀬尾ちゃんが友達を紹介してくれた。ちょうど酒田市と鶴岡市のあいだに三川町っていう町があっ て、そこに同い年の男友達の実家があるらしい。お寺を出て三川町に向かった。
風が強くて家がギシギシと軋む。特に川を渡ったときは風が強すぎて今にも屋根が分解しそうで
「頼むからあと少しもってくれ」
って家に向かって語りかけながら歩いた。パニック映画の主人公みたいな気持ちだった。でもすぐ隣の車道では何百台っていう車が僕をどんどん追い抜いて行く。こんな風なんともないんだろうな。
途中でおまわりさんに
「仕事ですか?物騒な世の中だから気をつけて!」
と声をかけられた。あと車の中から子供が
「ホームレスですかー?!」
って叫びながら走り去っていった。あとバイクの後ろに「日本一周」って看板を掲げた男性にも出会 った。彼はなんとなく気持ちが高揚しているようだった。若い旅人ってそういう人が多い気がする。 彼と話して僕は「旅」っていう言葉が嫌いだってことに気がついてしまった。日常化のバイアスが既にその言葉に含まれてる。これまで何万人という人たちが日本一周という看板を自転車やバイクや 車やバックパックの背中にくくりつけて日本を一周して、そして「帰っていった」んだろう。遊牧民 に対して「旅ですか?」とか「どこまで行くんですか?」なんて問いは成立しないはず。僕は移動生活を 成り立たせたいだけだ。そしてその経験を、奴らのいう「将来の糧になるよ」とか「いい経験だね」 っていう言葉に回収されたくはない。確かに良い経験だと思ってやってるけど、僕が使う「経験」と 奴らが言う「経験」は全然意味が違う。あんな日常化のバイアスがかかった「いい経験」なんてちっ ともいい経験じゃない。 そして徹底的に見て回りたい。誰かの編集した情報を通して何かを知った気になりたくない。自分か ら数えて3番目の物語が見たい。僕でもあなたでもない、第3者の物語を直接見たい。これまでもず っとそれをやってきた。
三川町まで13キロ、ノンストップで歩いた。待ってる人がいれば疲れないもんだな。三川町の安達 家の全員が歓迎してくれた。特にその同い年の彼とは、夜中まで話し込んだ。日本酒と白ワイン(山 形はワインも美味しいらしい)とビールを交互に飲みながらいろいろなことを話した。瀬尾ちゃんあ りがとう。

Posted by satoshimurakami