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今朝、起きたら雨が降ってた。昨日ファニチャーホリックの山口さんと
「一週間は天気もちそうやな」
なんて話をしたばっかりなのに。やっぱり天気予報はアテにならない。
外は雨だけど、工場の中はとっても綺麗な朝の光に包まれて神々しい。今日ここを出ると思うとすこしさみしくなった。

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一週間ぶりに家を動かした。ここからまずは海沿いの道路まで出て「しおかぜライン」ていう道路沿いを南下して歩いていく。歩いてる途中で毛虫を2回見た。まだ毛虫がいるのがちょっと意外だ。
このへんは新潟の親不知とか岩手県の海岸線沿いと近い地形をしてる。海があって、すぐそばに山がある。海と山の間になんとか道路を通してる感じ。歩道が無いに等しいトンネルも多くて、ヒヤっと する場面が2回あった。ていうか、すぐそばを通るのにトラックはスピードが速すぎる。いま思い出しても腹が立つ。アイフォンで音楽を流しながらトンネルを歩いてるとき、とんでもないスピードの トラックにすぐそばを追い抜かれて、風で家が持っていかれそうになるのを必死で押さえ込んでたら アイフォンが地面に落ちた。「あのくそやろう」と思ったけど、地面に落ちたアイフォンを拾ったら 音楽が止まっていなかったからホッとした。
あと道ばたに、雨でふやけすぎてゼリー状になったジャンプらしき週刊誌が落ちてた。誰にも見られないうちに漫画がゼリーみたいになっちゃったのだ。そのままギャラリーに持っていって作品にでき そう。

3時半ごろに「横浜」っていう海沿いの小さな町に入った。山と海に挟まれた、坂の多い小さな町。空き家も目立つ。コンビニが一軒だけある。みたところスーパーはない。ここを過ぎると敦賀の市街地まで15キロくらい何もないのでここらで敷地を探すことにした。一軒目の高雲寺っていうお寺で早速オッケーをもらえたんだけど、ここの住職さんがとても粋な人で、僕の話を聞いた直後に
「すごいな!」
って言ってくれて、雨が降ってるからっていうことで僕を離れ家に案内してくれた上にお風呂も貸してくれた。このお寺は住職さんが一人で住んでるみたいだ。
「作りすぎたから食べてくれ」
と言って出されたクリームシチューを頂きながらお話しした。
住職さんは元々飛騨高山の出身で、こ の寺に入寺したのは10年前。少年院で先生をやってたのを退職してから来たらしい。それまで7年間この寺には住職がいなかったらしい。
「最後まで『悟りを開いた』ということを言わず、煩悩に苛まれて死んでいった親鸞上人に惚れ込ん で真宗の住職になった」
と言っていた。高雲寺は真宗大谷派のお寺なんだけど、真宗大谷派ってのは東本願寺が本山。かつて 「本願寺」だったところから大谷派が別れた結果、西本願寺と東本願寺に別れたらしい。
「そういえば富山,金沢,福井と、真宗のお寺が多い気がします。」
っていう話をしたら
「そう。新潟もな。北陸は真宗王国っていうくらい真宗が盛んな土地なんです。」
「そういうの全然知らないです…。」
「今は宗教離れ寺離れがありますからね」
と言ってた。
高雲寺は檀家の数は少ないらしい。にも関わらず建てることができたのは、「北前船」で財を成したスポンサーがいたからっていう理由があるらしい。このあたりはそういうお寺が多いと言っていた。そういえばここに来る途中「北前船の里河野」っていう看板があった。
「江戸時代以前、この国の主な運送ルートは日本海だった。いまでこそ東京が首都になって、波も穏やかな太平洋が主流になったけど、京都に首都があって大阪が日本一の港だったころは、船はみんな 大阪から出て、下関を通って北陸を通って北海道を繋いでいた。北海道で仕入れたニシンや昆布を、 北陸を経由して大阪に届けていたのが「北前船」。北海道でとれた昆布を敦賀で加工して塩昆布にし て大阪に送っていたことから、敦賀の名物は塩昆布らしい。昆布なんかここらでは全然とれないのに。そんでこのあたりはリアス式海岸なので海と山が近い。山があるっていうことは、水が湧くということ。船の補給にとって一番大切なのは飲用水の補給だから、ここは重要な港として機能していた。山がすぐ近くにある港は、かつての船にとってはとても重要だった。そんな地形もあって、敦賀 港はすごく栄えたところだった。いま福井県に原発が多いのはそういう背景がある。昔は栄えた町っ ている自覚があるから、経済発展は自分たちの幸せになると信じている。」
そんなような話を住職さんがしてくれた。話を聞きながら何故か泣きそうになった。住職さんは続けた
「安倍首相が経済政策を第一にしてやっているのは、あれはどうなんだろう。終わりがない。親鸞がでてきたような 日本だから「経済を発展させることだけが幸せではない」っていうふうに考えることは日本人ならできるはずだ。DNAに備わっているはず。それが敗戦を経験してから「経済発達こそが幸せの全てだ!」っ ていうふうになってしまった。バブルで1回こけてもまだ懲りない」
僕は震災のことを思い出した。そうだ僕たちはバブルで1回こけて、震災でもう1回こけたのだ。い ま安倍政権が強いのは「敗戦コンプレックス」の延長線上にある「震災からの復興コンプレックス」 みたいなものに取り付かれている勢力が強いっていうことを意味してるのかもしれないと思う。
「このへんは高速道路も通ってるし、北陸新幹線も通るけど、みんな山の中をくり抜いて通ってるから景色を楽しむ事ができない。『速くて便利』なのが良いってことをみんな信じ込まされちゃってる から。そうやって麻痺させられちゃっているから。考えるのをめんどくさがる。」
この話を受けて僕は、十和田湖周辺の温泉街も新幹線の影響でさびれているっていう話をした。住職さんは
「長野でも、新幹線が通ってから佐久市とか長野市はいいんだけど、北陸本線の沿線は酷いもんです。新幹線の通過点になっちゃってから一気に寂れてしまった。」
という話をしてくれた。話を聞けば聞くほど、住職さんと僕の問題意識がとても近いにある。僕は美術という方法によってその問題を捉えることができるけど、住職さんは仏教という方法によってその 問題を捉えている。問題を捉える方法が違うだけで、同じような方向を向いている。真宗の勉強をち ゃんとしてみようかと思った。住職さんは続けた
「みんな自分の中にある闇を見ようとしなくなっている。自分の中にある闇から目をそらす人が増えてる。『人に迷惑をかけながら、煩悩にまみれながらも生きていかなくちゃいけない』っていうこと と向き合おうとしない。だからボランティアが流行ってる。すべてのボランティアがそうだとは言わないけども。自分は「人に迷惑をかけない人間」でいたい、「人のために尽くす自分」でいたいって いう考えは傲慢だ。自分は人に迷惑をかけないで生きられるっていう傲慢。知り合いに民生委員がいるんだけど、水道もとめられて明らかに生活保護が必要な人から「構わないでくれ」と言われるらし い。「迷惑をかけたくない」って思うあまり交流を断ってしまう。だから孤独死、孤立死も増えて る。都会に「家族葬」が多いのはそういう傾向が関係があると思う。かつて火事と葬式は村全体の行 事だった。地域の皆を葬儀に呼んで、呼ばれた人たちは香典を払う。そのお金を葬式の費用に充てる。つまり葬儀は村全体の儀式だった。「お互いさま」っていう意識をみんな持っていた。だけど今都会で家族葬が多い。なるべく人に迷惑をかけたくないっていう傾向が強くなっている。」
いま僕は高雲寺の離れの一室で、住職さんとの会話を思い出しながらこの日記を書いている。思い出 せる限りで書き出したけど、もっとたくさん話したことがあった。ボイスレコーダーに録音しておけばよかった。

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Posted by satoshimurakami