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僕は家を持ち歩いて生活している「だけ」で、パフォーマンスとかしてるつもりはない。みんながこっちをジロジロ見てくるのが何故なのか忘れそうになる事がある。合成洗剤を使わない生活をしてる 人や、自給自足で生活してる人がいるのと同じように家を持ち歩いて生活する社会を生きている「だけ」だ。だから
「重くないんですか?」
っていう質問は答えに困る。こっちとしてはこれで生活してるだけだから。家賃の安い田舎で週 2日の労働で生活している人が、週5日の労働をしている都会の人に向かって
「忙しくないんですか?」
って質問するのと似てる。 僕は別の社会を見つけて、自分のからだをそこに逃がす練習をしている。考えたら僕はこれまでも、 普段所属しているコミュニティの外で人が人と出会うっていう事を扱った作品を作ってきたのだ。全て繋がっている。

新しい社会を見つけてそこに体を逃がすのは大事なことだと思う。昨日竹内さんとホルモン焼屋で話したこ とだけど、この生活は天候にすごく左右されるし、敷地がくらくなっても見つからないと不安で吐き 気すら感じるし、自分の家で寝る時は虫とか入ってくるからヒト以外の生き物と一緒に寝るような感 覚なので、対象としての「敵」をヒトに設定するのが不可能になる。ヘイトスピーチとか、何故やる気になるのか全く理解できない。

今日はお昼ぐらいに教会を出発した。竹内さんが
「見送りはせんけどな」
と言って見送ってくれた。
今日は、埼玉で出会った作家の田谷さんの実家(京都市山科区にある)で泊めてもらうことになってる。20キロくらい歩いて、暗くなった頃に着いた。大津から峠をひとつ超えたら京都に入る。この
「峠をこえたら都に入る」っていうのが、なんか時代劇っぽくて良い。

そこは浄土真宗大谷派の法衣店だった。真宗大谷派のお寺にはもう何度もお世話になってる。「ここでも出てきたか」と思った。これまで僕は宗教なんて葬式のときぐらいにしか意識したことなかった けど、そもそも真宗というか仏教を「宗教」で括るのがちょっと間違ってる気がしている。そうやって遠ざけてしまうのがもったいない。生きるのに当たり前のことを言っているのだ。 家ではおばちゃんが迎えてくれて、晩ご飯を出してくれた。田谷さんと似てて、とっても賑やかな人 で僕はもう笑顔が止まらなかった。「北陸から滋賀県にかけて、大谷派のお寺には大変お世話になり まして」っていう話をしたらとても喜んでくれた。
「真宗のお話を住職さんから聞かせてもらったことがあるんですけど、宗教っていうより生きていく にあたって当たり前のことを言ってるだけですよね」
「そうやそうや。お寺にいってお話を聞くこともあるんやけど、ひとつ良く覚えてるのが、精子と卵 子の組み合わせで人が生まれるやろ。それはものすごい確率やろ。二度と同じ人間っていうのは生ま れないって、そう言われたのは記憶にあるのよ。せやからいまの子供はすぐなんか死んだりとか、殺 したりとか。そんなんやからもうちょっと教育の上で宗教の話をしてくれたらなって思うんやけどそ ういうわけにもいかないし…」
なんて話をしてたらたまたま二人で見ていたNHKで、白川郷での報恩講の行事のことを特集していて グっときた。報恩講っていうのは、親鸞聖人の命日が近くなった時に、その恩に報いるために行う年 に一度の大切な行事。白川郷では「生活」と「教え」が密接に結びついていた。彼らに「宗教」って 言葉を使うのは失礼でさえある気がする。



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1114 | 2014 | 未分類 | Comments (0)

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