12041924

今日は朝からずっと雨が降っていて、昨日と同じくらい寒い。夜には雨があがってもうすぐ満月の月が見えている。このあたりは空港が近いので飛行機が頻繁に低い高度を飛んでいく。

ここ7日くらい、子供(というか糞ガキ)にいじめられたり何かに憑かれて神経衰弱になったり、人と会ったり熱出して寝込んでたりして、絵はなんとか描きつつも、日記を一切描く気になれなかった。けどすこしずつ持ち直してきたのでまとめて書く。なかなか色々あった。体調が悪くなると自分のことを俯瞰できなくなって、嫌な事があるとただひたすら落ち込む。絵は頭がぼーっとしている状態でも描けるけど、日記を書くのは無理だった。

まず28日に奈良の松村さんの家から大阪市浪速区の友達のアパートに向けて家を移動させた。奈良と大阪のあいだには山がいくつかあって、そこは紅葉がとても奇麗で、そのための観光客が何人もいたけど、僕は「紅葉を見に出かけてそれを見るのとは別種類の感動」を自分がしているような気がした。それは僕が冬を越すために南へ向かっている最中だからだと思った。たしか茨城あたりで、葉っぱが青々として奇麗だな、と思ったのを覚えてる。あのとき僕は夏を迎えるために北へ向かっていた。あの葉っぱもきっともう役目を終えようとして、今ごろは赤くなってるんだろうと思う。木々が、冬を越す準備をしてる。僕も冬を越そうと南に向かっている。「冬を越す」っていうことが、こんなに大きなイベントに感じられるのは初めての経験だ。ユニクロでヒートテックを何枚買えばいいのかな、とか、鹿児島くらいまで行けば少しはマシかな、とか。平均気温を調べたり降雪量を調べたりする。全ては無事に冬を越すために。紅葉が何故奇麗なのかって、単純に色が鮮やかっていう事以上に、生命の終わりとか時間の移ろいとかを重ねて見るからだと思う。生命体としての木々が運動しているのを感じるから美しいのだと思う。

でも紅葉が美しいとか思う余裕はすぐになくなった。「奈良と大阪は近い」なんて思ってけど、とんでもない誤り。直線距離は近いけれど、あいだに鬼のような坂道がずーっと続いて、もう笑っちゃうくらいの急勾配ばっかり。すぐ汗だくになって足にもマメができた。車もすごい音を立てながらきつそうに坂をのぼっていて、歩いてる人は他に見当たらなかった。くらがりとうげ、とよばれる坂道を登りきったあたりで大阪府に入る。そっからは、笑っちゃうくらい急勾配な下り坂がつづく。足を滑らせたらたぶんアウトなやつ。

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疲れすぎて、途中にあった公園で昼寝した。そんでようやく山道を超えて、東大阪市の街中を歩いてたら今度は自転車にのった小学5年くらいのガキ集団が後ろから寄ってきて、50センチくらいある木の枝(太め)を僕に向かっていきなり投げつけてきて、びっくりしてふり返ったら
「きしょいねんハゲ!」
と罵声を浴びせてきた。かなり腹が立ったけど、もう疲れてるし家を壊されてもたまらんので「孫の代まで呪われろ」と思いながらさっさと立ち去った。

その10分後くらいに、また別のガキ集団が自転車で近づいてきて、家を殴ってきた。殴ったらすぐ自転車で逃げるからタチが悪い。大阪こわすぎる。途中で見かけた選挙ポスターに「大阪に活気を」とか書いてあって「これ以上活気とかいらんから」と、本気で思った。
そんな感じでふらふらと浪速区の友達の家に辿りついて、夜はそこで寝かせてもらったんだけど、今度はそのアパートが事故物件で、昔ひどい殺人事件があったらしい。20141204-193343.jpg
「ちょうど家をおいてる駐輪場のあたりが現場だった」と言われて「もう勘弁してくれ」と思った。そのせいか翌朝から急に体調が悪くなって、ファミレスでぼーっとしていた。もう1日そのアパートに泊めさせてもらう予定だったけど、この体調悪化はあの場所のせいだと思い、急遽家を動かす事にした。藤巻さんていう淀川区に住んでる人がツイッターで「家置けます」って連絡をくれていたので、藤巻さんと連絡を取ってそこに向かった。9キロくらいの道だったけどもう満身創痍で、しかもその途中、何故か草刈り機で草刈りしてるおっちゃんの手元から小石がすごいスピードで首に飛んできたりして神経もすり減らされた。絶対に何かに憑かれている。岩手のトンネルでも同じように何かに憑かれて体調が悪くなったことがあったなあと思い出したりした。
藤巻さんの家は淀川区にあるビルだった。1階のテナント部分があいているのでそこは好きに使ってくれていいと言ってくれた。僕があまりに疲れていたので、藤巻さんとお母さんが家にあげてくれて、晩ご飯を一緒に食べたあとホットカーペットの上で寝かしてくれた。これが救いになった。夜の時点では37.9度の熱があったけど、朝までに平熱に戻った。
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平熱に戻った30日の午後から大阪在住のアーティストの大歳芽里さんと合流して、大阪の此花地区を案内してもらった。もともと梅香堂というギャラリーで、今はASYLという名前に変わったスペースで下道基行さんが展示していて、下道さんとも少しお話しできた。武蔵美の卒業生だから先輩にあたる。下道さんの話を聞けば聞くほど、興味の対象が僕と近いところにあるような気がした。下道さんは「写真家」っていう感じじゃない。「写真を使って」作品をつくってるという感じがする。有名な鳥居の作品群について

「実際は(鳥居を探すのに)すごい距離を移動しているんだけど、写真でならべるとその距離を飛ばしてみせることができる。展示する枚数は、3枚から5枚が一番縛りが強くて、それ以上になると逆に解釈がひろがっていく」
って話していた。写真を何枚か展示することによって、その先にあるものを見せようとしてる。その考え方は、いま僕が考えている展示プランにも通じるものがあって、勝手に仲間だと思った。また下道さんの活動を考えるためには「生活」っていうキーワードが欠かせないような気がする。そこにも勝手ながらシンパシーを感じる。
ASYLの他にThe Three Konohanaっていうギャラリーも行ってみた。ここはASYLとはだいぶ雰囲気が違う。山中さんていう面白い人がギャラリーをやってる。そこでは小松原君っていう僕と同い年の作家が展示していて、彼とも話した。
展示をみたりトークをきいたりして、すこし消耗した。夜は芽里さんと飲みにでかけて、彼女の「良い女」っぷりにより隣の席のおじちゃん2人組から日本酒を奢ってもらった。その後芽里さんの友達のメガネヤっていう古本屋さんに押し掛けて泊まらせてもらった。この古本屋も面白くて、普通のマンションの1室を古本屋にしている。外からは全く古本屋だとは分からない。オーナーの市川くんと芽里さんと3人で話すのは、朝まで起きていたいくらい面白かったけど、体調がまた悪化してきたので早めに寝た。

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そんで12月1日の昼に藤巻さんの家に戻ってきた。その日の夜、僕のことをテレビで見て刺激を受け、学校の自由研究で自分の家をつくったという小学2年生の男の子とその両親が訪ねてきた。
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なんか鳥がのってる

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藤巻さんの職場の屋上

翌朝は藤巻さんの職場まで忘れ物を届けにいったり、de sign deというミュージアムで建築の展示を見たり。この展示がまたなかなか良くて、建築のゾーニングを考える、あの懐かしい面白さを思い出した。大学生のときはこの面白さだけが設計をやるモチベーションになってた。展示を見ることによってまた消耗して、ふらふらと家に帰ってきてまた寝た。

3日の朝に喉の痛みが悪化して、体が明らかに昨日よりだるくなっているので、これはもう病院だと思って病院に行って薬をもらってきた。薬はすぐに効いてくれた。夜には「味園ビル」という大阪No1ディープスポットに、藤巻さんとその友人と3人で飲みに出かけた。
で、今日はもうずっとほとんどなにもせずに寝ている。いまも自分の家のなかでごろごろしながら日記を書いている。だいぶ体調も戻ってきた。明日は椿昇さんに会いに急遽京都造形大にいくことになった。

Posted by satoshimurakami