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実に1ヶ月ぶりの移動。フンドーキンマンションを11時頃に出発した。ここに家を置きながら、目の前の店でバイトしたり、年末は東京に帰省したり、年始は京都に出張に行ったりして、半定住みたいな状態になってた。
そのせいでどうやら土地に根が生えてしまって、出発前に覚悟を決め直す必要があった。でも歩き出すと以前の感触をすぐに取り戻した。

歩きながら思ったんだけど、僕は自分の生活に「移住を生活する」っていうタイトルをつけることによって「生活をつくる」っていう意識を持とうとしている。「自分の生活 にタイトルをつける」っていうのは、日々を自覚的に生きるためには効果的なことだと思う。これは人間にしかできないはずだ。社会はつくられてできたものだし、つくれな いものはない。つくるためにはタイトルをつける。タイトルは各々が好き勝手つけていい。村上という名前の人を佐々木って呼んでもいい。

出発時、財布に300円くらいしかなかったけど、日曜日だからコンビニでお金おろすと手数料を取られると思ってお金をおろさずに出発した。あとで後悔した。

大分から海沿いに臼杵まで歩こうと思って東に向かった。途中、3人の女性から「写真とってもいいですか」と声をかけられて、1人の男性から蜜柑を7個もらった。
坂ノ市 という町を超えると建物をあまり見かけなくなる。コンビニも見なくなって「この蜜柑が晩ご飯ていうことになるかもな」と思った。

23キロくらい歩いて、夕方4時半ごろ「佐賀関」という道の駅があったのでそこを敷地に決めた。わざわざ交渉して断られたらもう退路がなさそうな環境なので、もう勝手に 敷地にした。海の目の前にある小さな道の駅。売店では「くろめ」という食べ物を大プッシュしていて、客はみんな「くろめソフトクリーム」というものを食べていた。

この道の駅はなんもない道路にいきなりあらわれるタイプで、その道には歩道がないので夜歩くのは危ない。その上一番近い店までもかなり距離があるし、海も 1時間くらいで見飽きたので、夜7時くらいになって「何もすることがない」と思ったので寝る事にした。
夜中に人が来なさそうな、海と道の駅の間にある公園みたいなところを選んで家を設置した。

でもごろごろしはじめてすぐに足音が聞こえてきて、しかもまっすぐにこっちに向かってきた。ひやひやした。そして懐中電灯が僕の家を照らしてきた。同時に「こんばんは ー」っていう声も聞こえた。なんだなんだと思ってドアを開けたら人が二人立ってて
「差し入れ持ってきました」
と言ってきた。二人とも大笑いしてた。

二人は渡辺さんと大海さんと言って近所のジョイフル(ファミレス)の店員だった。路上で家が歩く様子を目撃して僕のツイッターの「今日の敷地は道の駅です」っていう投稿をみて、車で駆けつけてきた。渡辺さんはやたらテンションが高くて面白い。差し入れを届けることを旦那さんから止められたらしい。
「そういう人は、自分の思いがあってやってるんだから、他人が手を出すものじゃない」
と言われたらしい。とてもいい台詞だと思った。

その人はおにぎりを二つとお茶と、お湯を入れたどん兵衛(肉うどん)を持ってきてくれた。僕の財布にはもう61円しかなかった。奇跡がおこったのだ。

二人とも気さくですぐ仲良くなって 「明日の朝はジョイフルにおいで!モーニングおごったる。」
と言ってくれた。

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Posted by satoshimurakami