11031703

札幌での展示に参加するために北海道にいる。広大で平らな土地。空の色と、山の森林の色がとても綺麗だ。紅葉していることもあるけど、木の種類が多くて色々な色が見える。
アイヌ民族博物館(ポロトコタン)。アイヌの人々は農耕はやっていたけれど、(こちらの時代でいう)江戸中期にはもうやめてしまい、儀式に使うものをつくるためにやっていた程度だったらしい。彼らは弥生ではなくて縄文文化を選んだ。でも移動生活をしていたわけではなく、各々の村には各々の狩猟場がきめられていて、そこで狩りをやって生活をしていた。鮭の燻製をつくり、冬に備えて備蓄したり交易で漆器(われわれ「和人」からの輸入もので、これを一つ得るには鮭が何百匹も必要だったり熊の毛皮が数頭分必要だったらしいけど、これをたくさん持っているとその家はまわりから尊敬されたという)や木綿と交換したりしていた。定住で、かつ狩猟採集生活をしていた。鮭の皮やアザラシの皮で作った靴や、オヒョウという木の皮を剥いで、裂いて、煮て、また裂いて2,3ミリの糸状にして、それを編んで着物をつくって儀式に使ったり、熊の皮で毛皮の服をつくって冬を越したりしていた。彼らの村や土地の名付けかたが、「大きな湖のある場所」とか「大きな乾く川」とか、なんというか自然本位で、北海道の地名とその意味を眺めてるだけで瑞々しい。文様とか、カムイ・ユーカラ(神謡)の日本語訳とかを眺めていると純粋に美的な感覚に優れていて、これが全然敵う気がしない。たぶん、雨が体にあたったり、葉っぱが落ちるのを見たり、鳥が飛んでいくのをみたり、そういうちょっとしたことから大きなイマジネーションを得ていたんだろうということがビシビシと伝わって来る。カムイ・ユーカラを見てたら宮沢賢治の詩を思い出したりした。アイヌの中にも色々な文化圏があるようなので一概には言えないだろうけど。
最初は普通に交易していた僕たち和人が彼らを「遅れた民族・土人」と呼んで本格的に植民地化しはじめたのは150~100年くらい前で、ちょうど僕のひいひい爺さんが淡路島のあたりから北海道に渡ってきたらしい時期と重なる。おそらく開拓民のうちの一人だった。北海道には古い建物はあまりない。それは当然北海道に僕たち和人が入っていったのがたかだか150年前程度で、歴史の蓄積がまだ全然ないからだ。彼らの視点になったつもりで日本を眺めると、自分の足元が揺らぐのを感じる。博物館で自分が着ている綿の服を改めてよく眺めたらとても奇妙なものを着ている感じがした。

Posted by satoshimurakami