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例の刑務所のような免許合宿のおかげで自動車を運転する能力を手に入れたので、大阪でニコニコレンタカー(軽トラ)を借りておよそ半年にわたって家を預かってもらっていた上町荘に家を取りに行き(上町荘は例の大地震の大きな被害はなかったようだった)、大阪港国際フェリーターミナルまで家を積んで走ったのが一昨日。15時半発の釜山行きパンスターフェリーに乗る予定だったけどなんと台風の影響で欠航となったらしく、急遽大阪のゲストハウスに2日延泊してついに今日大阪港を出港できた。国際フェリーは初めて。家もこれまでさんふらわあやジャンボフェリーなんかの国内船には載せたことがあったけれど国際船となると関税とか携行品検査とかが面倒そうだと思っていたけれどやってみるとすんなりとクリアした。始めは手荷物として載せようとしてくれたけれど乗船口のエスカレーターがかなり狭いからこの家は通らないということになり、係員のおじさん(この人が結構語気が強めで怖い)に「手荷物として預けてください。トラックに載せるんで向こうで自分で取りに行ってください。わかりましたね。」と言われた。「これ何キロくらいあるかわかりますか?」と聞くので「8キロくらいです」と言ったら「100キロ!?100キロですか?」と聞き間違えられたので慌てて「いや、はちキロです」と言い直したらホッとしていた。手荷物手続きの係員はおじさん含めて二人(もう一人は警備員のような格好をした韓国人だった)いて、二人は「どうしよう?千円?千円か」と、僕の家の運搬にいくら手数料をもらうか相談していた(「お前の胸先三寸じゃねーか」と思った)。結局僕は1000円を支払って東南アジア系の二人組作業員が家をトラックに積み込むのを見届けてからフェリーに乗船した。そのおじさんの語気が強くなってしまうのも無理もなくて、乗船場には大きなダンボールを積んだ台車がたくさん並んでいて、各荷物には人(ほとんどというか多分全員韓国人だと思う)がついていて、彼らが釜山に運ぶ荷物の関税手続きをそのおじさんがほとんど一人で行っていた。おじさんと客たちは、ときどき言い合いのような形(おじさんが「えー!自転車あんの!?あかんやん!だめやんそういうのは。リストに自転車書いてある?骨董品?骨董品じゃないやろ!」と大きな声で言うのが聞こえた)になりつつ、大きな声でやり取り(「インボイス」という単語が頻繁に聞こえる)をしていてそれを数人の警察官が見守っているという光景。刺激的だ・・。それらは手荷物ということになっているけれど、おそらく小商いの人たちが日本で仕入れた商品をフェリーを使って運搬しているということだと思う。これを一人で捌くのは大変だ・・。タフネスが求められる。運ばれる荷物には漫画「ワンピース」のフィギュアのダンボールなどがあった。

そんな感じで1000円で家を積んで、フェリーに乗り込んだ。船内はとても綺麗。お土産も買えるコンビニや寿司バーとかアロマエステの店まである。スタバみたいなアイスココアが飲めるカフェもある。wifiは使えるということになっているけどすこし頼りない。僕が取った寝室は一番安い5人雑魚寝スタイルの2等客室で、僕の他に韓国人のおじさんがいるだけだった。おじさんは僕に英語で話しかけてくれて、布団を引くのを手伝ってくれた。僕が3週間韓国に滞在するといったらとても驚いていた。おじさんはこの船に乗り慣れているらしく、お風呂に入りに行く時には部屋に鍵をかけて鍵はカウンターに預けてくれ、など色々指南してくれた。

今回の釜山は金沢で開催される「東アジア文化都市」という展覧会の関係で行く。ずっと日本で使っていた家が国境を越えるのは初めて。最近、戸田郁子さんが書いた第二次大戦時に大日本帝国に駆り出されて中国に飛ばされたり、日本人と間違われてシベリア抑留されてしまった朝鮮人の本や、橋口譲二さんが書いた、日本兵として国外に派兵されたままその土地に住み着いた人々の本を読んでいた。また杉原先生(幼い頃から家族でお世話になっている)が5歳までは京城にいて(平壌に行く計画もあったらしい)、日本が敗戦してからボートピープルとして広島に帰ってきた(九州に行く予定だったらしいが広島に変更され、そのおかげで当時病気していた杉原先生は助かったと言っていた)話も最近聞いた。いまこのフェリーは瀬戸内海を走っているけど、たぶん杉原先生も瀬戸内海を通って朝鮮から日本に船で渡ってきた。そこをいま家と一緒に朝鮮に向かって移動している。釜山のあとは仁川へも行って戸田郁子さんの話も聞く予定。

07041625 | 2018 | 未分類 | Comments (0)

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