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筋肉痛がきている。やっぱりしばらく歩かないとちゃんと筋肉痛になるらしい。全身が重い気がするけど、主に足にきている。HUB三条木屋町店で久々のギネスを飲みながらこれを書いている。

遡って16日から振り返らなくてはいけない。書かないと経験が終わらない・。のだけど、正直思い出すのにすこし苦労する。まだ2日前のことなのに。16日の朝にはたしか家は御茶屋御殿展望広場にあって、僕はGOENゲストハウスをチェックアウトした後、枚方における第二オフィスに行ってすこし仕事をしてから家に戻って12時前には出発した。もうすこし北にいったところに淀駅という駅があり、そのエリアには寺院がたくさんあったのでそのどこかで敷地を借りようと見当をつけて歩き始めた。

出発してすぐに雷鳴が聞こえたらしい。『1147雷鳴。パラパラと雨』とメモが書いてある。でもその後大振りにはならなかった。ここまで幸いにも、豪雨には見舞われておらず、靴がびしょ濡れになって不快な思いをするような羽目にはなっていない。

次のメモは『139楠葉モールで休憩。椅子。曇っているが雨は降ってない。ゴルフ場には人がたくさん。モールにはWiFiあるが途切れて使えない。お湯があるのに椅子がないということはカップ麺は車で食べる人向けに売られているということになる。』と書いてある。樟葉モールには座れる椅子がたくさんあって助かった。が、休憩のときに欲しい食べ物や飲み物の店はなくて、服屋ばっかりだった。仕方がないのでモールを出て、近所のローソンにいった。ローソンには飲み物も食べ物も売っているが、椅子がない。なかなか良い条件というのは揃わないものだ。ローソンでカップラーメンを買ってお湯を入れて、店の外のなんかオレンジ色のL形の小さな車避けみたいな手すりに座って食べた。ごく最近、スーパーマーケットライフでも同じような姿勢でものを食べたような気がする。

次のメモは『1435国土交通省のなんか管理の人と少し話す。「淀川沿いの下の方歩いた方が安全やで。車もないしな。ここは、まあ広くはなってるけど車あるし。」と』というもの。これを言われるまで、僕は淀川沿いの車道(歩道がないので仕方がない)を歩いていた。淀川沿いはワンドという緑地が豊か(淀川資料館で学んだ)で、その緑地の中に車道の広さを持つ道路がある。ここは国土交通省の車(淀川河川事務所)のような関係車両は走れるけど一般車は走れない。河川事務所の人にこう言われてからそこを歩いた。ここは車も走っていないけど、お盆のこの時期、歩行者も自転車もほとんど通らず、ただひとりでもくもくと家を背負って緑地の中を歩いた。

店内にBlurのCountry Houseが流れはじめた。好きな曲。

多分14キロくらい歩いて、淀駅という駅のあるエリアにたどり着いた。家を長円寺というお寺の前の道路においてお寺にいこうとしたらすぐにそこの若い住職さんが車でお寺に帰ってきて、その場で交渉ができた。

「いまお盆の時期で、明日送り盆の行事があるのでうちは無理ですね」と言われた。「ちょうど年に一度の行事でして・・」と。

僕は「そうですよね。お盆はお忙しですよね。どのお寺もそうですかね」と聞くと「この地域のお寺は難しいかなと・・」というようなことを言われた。わかりました、と言って次のお寺にいこうとしたら「このどうろ、大きな車も通るので、このいえが置いてあるとどうだろう・・」というので、「一時的にでもおいてあったらまずいということですか?」と言ったら「そうですね、どうでしょう」というようなことを言うので、なんか回りくどい人だなと思いつつ「じゃあ下の緑地(淀緑地という公園のようなところ)に置きます」と言ったら「そうですね。そこなら、誰も何も言わないかと」と言われた。多分彼はここで眠るつもりだと思っている。

家をその緑地に移し、長円寺の隣にある東運寺というお寺に行った。チャイムを鳴らしたら若い住職さんが出てきた。自分の活動の説明をして、「寝る敷地を探している」と交渉するのだけど、その最中から明らかに隣の住職さんとは違う表情をしている。なんとなく、顔でわかる。前の住職さんは、説明の最中からあきらかに少し引いていた。こんどの住職さんは説明がおわったら「そうですね、どこがいいかな。ちょっと行ってみましょうか」と言って外に出てきてくれた。

本堂の目の前の、綺麗な石が敷き詰められた場所の前を「ここはちょっと、人の出入りがあるので」と言いながら通り過ぎ、すこし奥まった、お墓と淀緑地の間の砂利道に歩いて行って「この奥なら大丈夫です。すこし地面が斜めなんですけど・・」と。「どこでも大丈夫です!ありがとうございます」と言って、最終的に竹林とお墓の間の砂利道というか草地というか、そんな場所に決まった。家を持ってきてそこに置き、住職さんからすこしこのお寺の話をきいた。このお寺の前の道は戊辰戦争で幕府軍が逃げた道らしく、ここらのお寺は野戦病院のような機能を果たしたらしい。またこの寺院は江戸時代始め、350年くらい前に建立されたお寺で、現在の住職が18代目。また奥さんも出てきて「竹林のそばだから蚊がすごいでしょ」と言って火をつけた蚊取り線香をくれた。また今日は送り火(あの有名な大文字焼き)の日だということも教わった。宇治川からは見えないみたいだけど、桂川の土手からは、ほんの少しだけ見えるかもしれないと言われた。この町はふたつの川に挟まれている。

近所にお風呂場がなかったので淀駅まで行って京阪電車にのって一駅の中書島に行った。ここは坂本龍馬が襲撃された寺田屋がある街ということで、駅前には坂本龍馬の大きなパネルが飾ってあった。龍馬はここで襲撃された後、妻と一緒に三十石船にのって大阪湾に下ったらしい。淀川資料館で勉強した知識が早速生かされた。お風呂場は430円。新地湯。お風呂に入っているあいだ、突然の大雨があったらしい。脱衣所で番頭さんと客が話していた。僕がでたころにはもう外は暗くなっていて、雨もあがっていた。淀駅に戻って、駅近くの宮前橋という淀川にかかる橋に行って大文字焼を探した。20時になったらずっと北のほうの山にオレンジ色の火のラインがすこし浮き上がるのが見えた。文字には見えなかったけど橋には僕の他にも十五人くらいの人が立ち止まって、というかたぶん家から出てきてそのオレンジ色のほんのちょっとの線を眺めていた。オペラグラスの人もいた。

送り火を見た後、くるみという、ちょっと入りにくいけど非常に長い歴史を感じる小さな洋定食の店に行ってくるみ定食(カツとエビフライとちょっとしたサラダと味噌汁と漬物とご飯)を食べる。店の外観の印象とは全然違ってとても美味しくて盛り付けも丁寧でしかも550円と破格の値段だった。創業40年以来値段を変更していないらしい。とても良い店だったので「近所に欲しい!」と思ったが、すでに近所の店だった。家に戻って横になった。夕方が嘘みたいに蚊はいなくなっていた。彼らにも労働時間があるのだ。床下も草だし斜めだしちょっと厳しい敷地かなと思ったけど、横になって見たら快適で快適で、驚いた。というのも、気候がとても気持ちよかった。湿度もなく、気温も少し涼しいくらいで寝付くには最高の条件。敷地にとって一番大事なのは気候だ。気候さえよければ草地でも斜めでもあまり問題にならない。

例によって早朝に目が覚めた。「6時半、一羽の鳩の声が聞こえてくる。ホイッホホーホー」というメモがある。また寝て、8時ごろに置きた。

ここは近所にオフィスになる場所がない。起きてコンビニでご飯を買って食べ、帰ってきて本堂の前に立ってお寺の絵を描いていたけど原因不明の鼻水のせいで集中できず、結局完成できないまま10時ごろにお寺を出発。京都市内を目指す。前日のうちに、最近京都でお世話になっているnowakiのきくちさんと筒井さんに連絡したら「うちは大丈夫ですよーお布団用意しておきます」という嬉しい返事がきていた。nowakiを目指す。

もくもくと歩いたので特にメモも残していない。ただひとつ

「後ろあいてんで、とおばちゃんに言われる。1717。三条駅の近く」

というメモが。後ろのドアが開いていることに、歩いている僕は気がつきにくい。最近ドアノブの調子が悪いというかほとんど壊れてしまっている。直さないと今後も歩いてる最中にパカパカ開いてしまう。

東雲寺からまた15キロくらいあるいてnowakiに17時半ごろに到着。ちょうど昨日の今頃。二人と一匹(猫)が迎えてくれた。この猫はゆきちゃんと行って、看板猫として有名で、「ねこづめの夜」などの絵本作家の町田尚子さんが作ったLINEスタンプまであるうえにアーティストの池田剛介さんもゆきちゃんファンらしい。

nowakiの近くの孫橋湯というお風呂場でお風呂に入って髪もちゃんと乾かして、nowakiに来ていたお客さんとnowakiの二人と僕の4人で中華料理屋にいってご飯をたべ、帰って来て筒井さんと音楽の話などをしてから眠った。

そして今日、nowakiの二人と一緒に喫茶いのんという、花屋さんがやっている鴨川沿いのカフェでモーニングを食べて、僕は京都でオフィスといえばここしかない、という上島珈琲寺町店にいって歩いたルートを地図に起こす仕事をして、ここに場所を移してこの日記を書いている。もう頼んだギネス1pintが無くなりそう。これからnowakiに行って絵を描かねば。

Posted by satoshimurakami