0623

明日東京から取材にきたいという雑誌の編集者がいて、その人とは大船渡で待ち合わせのため今日も陸前高田に滞在。午前中はずっと昨日描いていた絵に加筆していた。
午後、昨日の花畑(津波で流された後をその地域の人たちがボランティアで花畑にしているところら しい。こういうオープンガーデンは他にもいくつかあるみたい)のところでお昼ご飯をいただく。そ こで、震災前に陸前高田の町並みを絵にしたという人と出会った。その絵は津波で流されていまは行 方不明なのだけど、展覧会のときの写真が残っていてそれをみせてもらった。僕も使ってるような水 性の細いペンで輪郭線を描いてから水彩で色付けしていて、なんとなくタッチが似ている。高田の町並みを、ひとつながりの巻物みたいにして描いていた。その絵は、陸前高田に対する愛とか親しみと かが描かれているように見える。ながいながい時間をかけないとこういう絵は描けないなあと思っ た。話を聞いてみると、例えばお店をたたんでしまった建物でもシャッターは開けて描くことにして いたらしい。お店をたたんだ本人がその絵を見たときに少しでも嫌な気持ちになるかもしれないか ら。建物の外壁とかがはがれていたら、それはそのまま描かずに絵の中では奇麗に直して描く。それ も見た時に嫌な気持ちになってほしくないから。すごいな。大変なものが失われてしまった。実物をみてみたかった。
その人は他に自分が住んでる仮設住宅の間取り(どこに何が置いてあるかまで描いてある)を描いた 年賀状も作ってた。これもやばかった。「あけましておめでとうございます」という文字の下に家の 間取りが描いてあるのだ。しかも仮設住宅だ。もう仮設生活3年目の間取りだ。すごいセンスだ。楽 しんでいる。かっこいい。

今日も昨日と同人のじところに泊めさせてもらう。彼は、人が元々どこの血を引いてるのかというル ーツに対してとても意識的な人。そういえば昨日も会ってすぐに「村上って言うけど、もとはどこの 村上なんだ」と聞かれた。僕は最近自分のルーツが淡路島にあることがわかったから答えられたけ ど、普段あまり考えないな。でもそこに対して意識的であることはとても正しくて必要なことかもし れないな。自分の先祖はどこの人なのかって、まわりの人は普段考えてないようにみえる。その人は 「あんまりこだわると親戚が増えすぎちゃうんだけどな」とも言ってたけれど。なんだか不思議なん だけど、そこで寝泊まりするのはとても自然なことのように感じた。彼は津波で家族を失っている。 僕は「画家です」って言うと、いつも「画家の卵」とか「将来は画家になる人」って言い換えられち ゃうんだけど、彼は人が僕のことを「画家の卵」って言ったのに対してわざわざ「いや、この人は画 家だよ」って言ってくれた。

Posted by satoshimurakami