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「受け取る」ということは能動的なアクションだと思っているから、作品から受け取った内容は即ち その作品が「言いたかったこと」になると思っているのだけど、どうも自分には少なからず「こう見 られたい」「すごいと思われたい」みたいな気持ちがあることに気がつく。でもそういう気持ちを持 ってたら疲れるだけだってことがよくわかってきた。疲れるから、頭が自然にそういうことを考えな くなりつつあるのがわかる。どう思われても構わないから自分のことは聞かれないと答えないし、少 し話して相手にどんな誤解があっても「もういいやー」って感じになりつつある。

今日こそ吉浜を発つ。2キロ以上ある長いトンネルがあるからって、お父さんが軽トラで途中まで送 ってくれた。助かった。2キロのトンネルは歩いてたらとてもきつかっただろうな。トンネルの中は 音が反響するから、後ろからくるトラックがいまどのくらい近いのかとか、この音はもう僕を追い抜 いたトラックの音なのか、それとも後ろからまだトラックが来ているのかとか、そういうのが全然わ からない恐ろしいところだ。
吉浜では結局3泊した。超オープンマインドな家族で、赤の他人の僕 でもトイレを使ったりお風呂に入ったりするのがあまりにも普通のことのような気がするので可笑し くなった。心に裏表が全くない感じ。

すぐに釡石市に入った。ここも海抜が低い土地に家やら店やら工場やらがたくさん建っていたのでか なり被害が大きかったみたい。瓦礫を集めた山もまだあった。釡石の市街地に入ったあたりで女性二 人に呼び止められる。僕が東京から出発したことを知ったら
「私たちも横浜から越してきたばかりなんですよー」
と言う。なんか面白そうな人たちだと思って
「二人はどういう関係なんですか?」
って聞いたら
「幼なじみです」
という。面白そうな二人。もっと話を聞きたいから今日は釡石に泊まろうと思い、一晩家を置かせて もらえそうなところはないか相談したら、青葉公園というところにある仮設の商店街なら大丈夫かも と教えてくれた。1時間後にそこで待ち合わせることに。
商店街のラーメン屋で釡石ラーメンなるものを食べながら二人と話す。二人は部屋をシェアしながら 暮らしていて、震災前にも関西で一緒に住んでいたことがあるらしい。3年ぐらいで住んでる土地に 飽きちゃうらしく、僕の活動をみて「私が望む究極の暮らし方だ」って言ってた。 神奈川に住んでいたとき、岩手に引っ越すから仕事を辞めたいと職場に相談したら 「結婚するの?」と聞かれたという。そりゃそうだ。僕も香川県に引っ越す時に何人かに聞かれた。
「そこに仕事があるから引っ越す」とか「お嫁に行くから引っ越す」とかは、皆ストンと納得するん だけれど「そこに住んでみたいから引っ越す」とか「ここが嫌だから引っ越す」というのはどうも納 得しにくいらしく、職場のみんなに心配されたという。
「その年で生活を移すということにどれだけ リスクがあるかわかってるのか」とか「子供をつくれる年齢は限られてるんだぞ」とか。みんなこわ いんだ。いまやらせてもらっている仕事を手放すことになったり、自分が積み重ねた人との信頼関係 が壊れてしまうんじゃないかって思うんだろう。そんなレールから落ちないようにするために自分の 命を使うように仕向けることによってこの経済は大きくなってきたんだろう。積み重ねたキャリアや らのぼりつめたポストやらを手放したら1から出直すことになるんじゃないか、そうしたら自分は何 者でもなくなるんじゃないか。それがこわいっていうのもあるかもしれない。だからみんな心配する し、自分がそうならないようにするためだけに人生を使う。
でもこの二人は、一見とっても軽いノリで「ここに住みたいと思ったんですよ」って言う。思いだしたら、もういてもたってもいられなくなるんだろう。狩猟採集民族の血が流れてるんだろうな。 農耕民族ではなく。まだ引っ越して1ヶ月ちょっとで、このあたりのことは全然わかってないし仕事 も始めたばかりで「これからどうなるんだろうね」って顔を見合わせていた。毎夜二人で「私たち、この方向性でいいよね」という話し合いをするらしい。お笑いコンビみたいだな。この態度は強い な。どこででも生きられるだろうなと思った。
別れ際に「個展見に行きます」って言ってくれた。また会いたいな。変な言い方だけど、同じ種に属 する生物に出会ったような気がした。同志だな。

夜買い物に出かけて帰ってきたら、釡石の高校生二人に話しかけられた。美術の道に進みたいらしく、歩く家の目撃情報を聞きつけて1時間くらい僕をさがしていたという。がんばってほしい。

Posted by satoshimurakami