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この移動生活をしながら旅をしたらどういうことになるんだろう。この発泡スチロールの家をどこかに1ヶ月くらい置かせてもらって、僕はリュックだけもってどこかに行く。 旅が終わったら自分の家を置かせてもらっているところに帰ってきて、また移動生活を再開する。そうなってくるともう訳がわからないな。とにかくそうやってごちゃごちゃに して、日々の別の在り方を可能な限り想像したい。

10時頃に道の駅岩城を出発。次はまた20キロくらい南下して「道の駅にしめ」に向かう。このへんは道の駅がだいたい20キロごとにあって、しかも全てに温泉施設がつい てるからとても動きやすい。 今日もたくさんの車に抜かれながら国道を歩く。トラックが通るときに風がおこる。僕と家は、道に生えてる草花と一緒になって風に揺れる。なんか笑っちゃう。今日だけで3 ヶ所くらい、歩道に花束が置かれているのを見た。死亡事故があった現場なんだろう。花束を見つけるたびに手をあわせた。交通事故はかなしい。
車に轢かれた蛇の死体も今ま で何回も見てきた。それらに蛇の原型はなくて、ただ細長い楕円形をした平べったいものがアスファルトにはり付いているように見えるだけ。鱗や口元を見るとかろうじてそれ が蛇の死体だってことがわかる。ぐちゃぐちゃの死体だ。この蛇が轢かれた瞬間を想像してみる。自分が死んだ事もよくわからないまま死んでいったんだろうと思う。それは一 瞬の出来事だから。車を運転しているドライバーの方も「カタッ」っていうちょっとした衝撃を感じるだけだ。もしかしたら全く気がつかないまま轢いているかもしれない。そ の「カタッ」ていう取るに足らない些細な衝撃の瞬間、蛇の頭蓋骨や骨がグシャッと粉砕される。そんな瞬間を想像してみる。轢いた方も轢かれた方も気づかないまま蛇が死ん でしまったとしたら、それはあってはいけないことのように思える。だから蛇の死体を見つけたら、報告しなくちゃいけない。
「ここに蛇が死んでます!」
って。誰にむかって報告するのかわかんないけど、なんか空とか海とか、大いなるものに対して報告しなくちゃって思う。神聖な生き物だし。「蛇が死んでいるところ を確かに発見しました。蛇さんご苦労様です」って。そんで、僕はここで蛇が死んでいることを発見できて良かったと思う。
「この蛇を救いたかった」とか「車のせいで、道路のせいで蛇が死んでしまっ た。許せん」みたいな事は思わない。それは仕方のなかったことだから。ただそれを見つけたとき、「ここに蛇が死んでます!」っていう報告をしなきゃいけないんだ。何に向かって報告するのかはわからないけど。

「日本一周ブログランキング」なるものがあるらしい。登録してはどうかっていうコメントが寄せられていた。迷った。確かに見る人は増えそうだし、敷地交渉もすこし楽にな りそうだ。でも、そもそも僕はなんでこの日記をつけているのか考えた。以前も書いた気がするけど、出会った物事や考えたことを自分の中で完結させるために書いているってのが一番大 きい。ランキングとかに参加し始めたら、なんか他人に向けた文章になってしまうんじゃないかと思って、それはやっぱりやめようと思った。そもそも目的が「日本一周」とか では無いしな。結果的に本州を1周する形になりそうってだけだし、1周で終わるのかもまだわからないし。ためしに「日本10周」とかで検索してみたら、意外とヒットしなかった。

夕方「道の駅にしめ」についた。敷地交渉をしたらあっさりOKだった。
「どこか置いちゃだめなところはありますか?」
って聞いたら
「そういうのはありません」
とのこと。道の駅では敷地交渉を断られる事はまず無いと思ってよさそうだ。この駅は敷地内にお風呂とレストランとスーパーとカラオケと土産物屋がある。ここで暮らせるじ ゃないか。

Posted by satoshimurakami