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家を安達家に預けて、僕はお盆休みする。東京からなおこが遊びにくる。4泊で山形旅行をする。もし僕がいま新潟にいたら新潟旅行だっただろうし、秋田にいたら秋田旅行だっただろう。その間はちょっと絵を描くのをやめて、日記だけ書ける時に書こうと思う。
安達家のおかあさんの実家を出て大山駅に行き、鶴岡駅まで電車にのった。電車は1時間に1本くらいだった。久々に電車に乗って、やっぱりこの平行移動とスピードはすごく画期的だなと思った。ただ、移動している感覚はあまりない。窓の外をいくら睨んでも、風景が変わって行く様はただの映像のようで、この肉体が動いて行く実感は全然無い。空気の匂いや、気温や、草が揺れて擦れる音や風などが全く感じられない。ちょっと不気味でさえある。電車じゃなくて歩いてる自分を想像してみる。大山駅から鶴岡駅は7キロくらい。歩いたら1時間半くらい。ノンストップで歩けるけど、汗はたくさんかくだろう。途中で誰かに出会うかもしれないし、蛇の死体を見つけるかもしれない。1時間半歩くということ。その時間の長さや辛さや足がどのくらい疲れるかみたいなことがいま僕にはなんとなくイメージできる。こちらの気分次第で、歩いてるうちに多くの発見もあるだろう。でも電車では数分でつく。何の曲を聞こうか迷ってるうちに着いちゃう。冷房が効いてるから汗もかかない。当然僕は今家と一緒じゃないので電車を選んだ。汗をかいて、たくさんの発見をしながら1時間半歩くよりも、190円払って一滴の汗もかかずに動いてるのか動いてないのかわからない数分間を過ごすことを選んだ。何故なら僕はいま家をもってないから。電車に乗れるから。家をもってたら電車には乗れないので歩くしかない。僕は弱い人間だから、どうしても便利快適で速い電車を使ってしまう。早く着いたとしても何にもならないのに。今日は予定なんか特にないのに。
でも僕は自分が弱い人間だということを知っているから家をわざと分解できないように作った。歩くしかない、動くしかない環境に自分を放り投げるというやりかたをした。そうすることでたくさんの発見があった。人は弱いから、ほっとくとどうしても便利な方に流れてしまう。思考がとまってしまう。電車にのることによって、どれだけ自分が損をしているかを知らない。どれだけ自分が馬鹿になるかを知らない。だって、歩くよりも電車のほうが快適だから。汗をかくよりは、馬鹿になってでも快適な道を選ぶ。そういう生き物。

鶴岡駅の近くにショッピングモールを見つけたので入ってみる。本屋を見つけて、なんとなく最近「農民芸術概論」が気になっていた宮沢賢治を読みたくなったので文庫本を買ってドトールに入る。こういうカフェにも久しぶりに入った気がする。店の内装とかメニューとかは東京と変わらないけど、客のおばちゃんは方言で話していて何を話してるのかよくわからないのが良い。

鶴岡駅についた。目をキラキラさせて口元から笑みがこぼれている外国人のバックパッカーが、ホームの階段を駆け上がっていった。僕は彼を見て、自分がむすっとした顔をしていることに気がついた。

Posted by satoshimurakami