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旅っていう言葉が嫌いなんじゃなくて、自分の旅っていう言葉の理解のしかたが嫌なのかもしれな い。旅と聞くと、過渡期的で未成熟な状態を連想してしまいがちで、生きる目的探しとか自分探しと 結びつけて語られがちだけど、本来は旅って目的そのものなんじゃないかと思った。何かを探すため にやるものなんじゃなくて。だからみんな老後にキャンピングカーを買ってあちこちいったりするの では?意外と仕事をする理由って、旅をするためだったりするのでは?他にやるべきことって意外と 思いつかないのでは?

朝、塩屋を出発しようとしたらランニングウェアを着た「走るアホ」を名乗るおっちゃん3人組に出会う。自分が喋る順番を待つのに精一杯って雰囲気の元気のいい人たち。
「歩く家で検索したら僕の日記とか出てくるので良かったら見てください」
と言ったら
「ああ、やっぱ歩きなんだ!走りはしないんだ!」
と言われた。さすが走るアホを名乗ってるだけある。そんなこと初めて言われた。

ここは村上市ってとこだ。僕の名字と同じだ。海沿いを歩いていくと、数キロごとに海水浴場があ る。日曜日で天気もいいので、どの海にも人がたくさんいて、泳いだりバーベキューをしたりしてい る。歩道を歩いていたら、前から海パン一丁の兄ちゃんが近づいてきて 「あ、ネットで見たことあります!休憩していきませんか。そこの海の家が知り合いなんです」 と話しかけられて、海の家で一息つかせてもらった。
「ハンドルついてるわけじゃねえんだろ」
といわれ、ビールを渡されたので飲んだ。他に5、6人いた。毎年このシーズンになるとここに集ま るメンバーらしい。
夕方、野潟海水浴場のそばの、のがたキャンプ場というところに着く。近くでバーベキューしていた 家族から
「もうお盆終わったらキャンプ場も商店も人いなくなっちゃうから。勝手に泊まっていいと思う よ。」
と言われる。彼らは新潟市在住らしく、僕の活動を面白がってくれた。「もう火消しちゃったんだけ ど、、」と言って、ウインナー二袋と飲み物とゼリーをくれた。タバコもくれた。そして
「来週末、ここから50キロぐらい西にある浜辺で同じメンバーでバーベキューしてるから。よかっ たら来てな!」
と言われた。

今日の敷地はキャンプ場だ。最寄りのトイレまでは徒歩2分、最寄りのお風呂までは8キロって感じの間取りだな。今日はお風呂は入れないなあ。ていうか、これって「間取り」なんじゃないか?
僕は家というより、寝室を持ち歩いてるだけで他のトイレはお風呂っていう機能はまちの中にある。
あの寝室を置いた周囲数キロが僕の家になる、って考えた方がいいんじゃないか?そう考えるととても楽しい。敷地が決まった時の「これから何しよう。お風呂か、ご飯か?」っていう高揚感の正体はこれか。あの発泡スチロールの寝室を置いたまわりに間取りが展開されていく感じ。例えば昨日はテレビがあったし、お風呂までは電車を使えば行けた。今日はトイレはあるけど、お風呂までは電車をつかっても1時間くらいかかる。毎日毎日違う家に生きている感じだ。

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Posted by satoshimurakami