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ウッドデッキにシートを広げて森を見ながらお昼ご飯を食べた。焼きそばと蒸しパン。裏に住んでる母子とか近所の人も一緒にピクニックみたいに。長野は冬がながくて、その間は外 に出られないので、夏の間に少しでも日光を浴びときたいということでよく外で食べるらしい。
お昼に松田さんに軽トラで新潟県妙高市の道の駅まで送ってもらった。松田さんと別れたあと、家を置いて近くを散歩した。そんで虚脱感に襲われる。予想はしてた。今日から先はま た敷地の交渉をしながら歩かないといけない。まだお昼すぎだからここから歩くこともできるけどそんな気にならなかった。友部正人の「どうして旅に出なかったんだ」を聞きながら ずっと歩いてた。虚脱感から逃れられないまま、パラレルワールドについて考えながら歩いた。もし自分が高3の春に友達についていって美術予備校にいっていなかったら。とか、も し香川の家を出ていなかったら。とか、もしすでに死んでいたら。とか。歴史に「もしも」なんてあり得ないとかってよく言われるけど、そうやって今と違う自分を想像することによ って自分を相対化できる。死を意識することによって生きている自分に力を与えることができる。そういうこともできる。
帰ってきて、道の駅の清掃おばちゃん2人組と話した。
「今夜雨が降るみたいよ。あそこの屋根の下のほうがいいわよ」
と言ってくれた。
まわりをみたらあちこちの田んぼから煙があがっている。この時期は刈り取ったあとの田んぼの掃除のために野焼きをやるらしい。狼煙があがってるみたいに見えた。

今日は近くに日帰りで入れるお風呂がないから我慢する。おばちゃんの言う通り、日が落ちてから雨が降ってきた。
8時半には家の中で横になった。昔書いた「夢と編集」という日記のことを考えた。僕たちは寝ているとき、浅い睡眠と深い睡眠を繰り返しているらしい。浅い睡眠の時に夢を見てい るけど、その後の深い睡眠によって夢を忘れてしまうらしい。だから浅い睡眠のとき、夢を見ている最中に目覚めないと夢をみたことにならない。すごく不思議な話だ。夢を見ている 最中は、僕は現在進行形で夢の中にいる。でもその経験は『後で夢をみている最中に目が覚める』ということによって担保されている。じゃないと夢を見ていたことさえも忘れてしま うから。つまり現在進行形の体験が未来に依存していることになる。夢を見ているときは、現在と未来が同時に訪れていることになる。不思議だ。 同じように自分が死んだあとも、自分が生きていたころのことを思い出すことはできなくなる。まるで深い睡眠のせいで夢を忘れてしまうみたいに。現実も夢と同じよう な構造をしてる。

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Posted by satoshimurakami