01062018

東京から大分に戻ってきた。大分の大通り沿いにNHKが入ってる「オアシスタワー」っていう大きな建物があって、その一階の広場にいる。ここは暖房が効いていて誰でも入れて、イスもテーブルもコンビニもあるし静かにクラシックも流れてる素晴らしいスペース。こういう広場は貴重だと思う。人が集うし交流が生まれる。いままでたくさん町を歩いてきたけど「この町はすわるところがないなあ」って何度思ったかわからない。どの町を歩いていても座るところがないから、こういうところがあるっていうだけで、この町にまた来たいなと思える。

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年末年始で東京の友人たちとたくさん話した。人は変わるんだなと思った。僕が2年間住んでたアトリエ空鼠の現メンバーもみんなそれぞれ経験値を積んで、毎日少しずつ生まれ変わってる。空鼠は来年度以降契約更新するか未定らしい。空鼠はなくなるかもしれないけど、すぐ近くに新しい運動もおこっていたし、阿部はこれから本気でアートディレクターとして活動していく気らしい。10年以上つとめた職場を辞めて新しい人生に踏み出そうとしている人もいたし、高校の同級生で結婚してた人もいたし、この世界が32次元か33次元かで主張が別れるような世界に生きてる高校の同級生もいた。
僕は他人に対して「それじゃだめだ」って言えない。言いたいけど。自分の事を棚にあげて語る事が極端に怖い。でもそれに対して
「言えばいいじゃん。それを受け止めるかはその人が決めればいいんだから」
って言ってくれる人がいた。それでふっと楽になった気がした。そうだその人が決めればいいんだから、僕は僕の言いたいように話をすればいいのだ。これからはそうします。

そんで昨日、三ノ輪にできたウンドウというスペースで人と話をしている時に、大学時代に自分が置かれている環境に対しての怒りと焦りがあって、その同じ環境で過ごしている同期の人たちがあまりに能天気なことに対してすごく怒っていたことを思い出した。大学に限らない。自分の生活の仕方に対して無自覚だったり、人の幸せを勝手に決めて勝手に手を出そうとしたり、自分と他人の区別がつかなかったり、自分の不愉快を社会の不愉快だとか思っていたり、偏った妄想で物事を理解したつもりになって人に対して語り、自分が妄想でしゃべっていることに対して無自覚だったり。もう全然訳がわからないし、こっちがおかしいのかと思うことがあまりにもたくさんあって、そういう気持ちが口からでそうになってセーブするのに精一杯だった。とにかく、他者への想像力に欠けたふるまいが、この世界にはたくさんあって、「ちゃんとやろうや」っていう、そんな叫びたい気持ちを思い出した。

もう年末年始じゃない。時間が過ぎるのが早い。ふと気がついたらみんな過去の出来事になってる。とにかく今を追いかけるのみ。

Posted by satoshimurakami