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7時半頃、和尚さんが朝ご飯に招待してくれた。

ここは臨済宗(禅宗)のお寺で、息子さんはお寺を継ぐために神戸で修行中らしい。
禅宗なので、和尚になるには座禅の修行をする必要がある。みんなだいたい3、4年の修行を積んで終わるんだけど、息子さんは8年くらいやってるらしい。 20代をほとんど修行で過ごしてる。すごい。

その修行の話がまた凄まじい。一ヶ月に一週間くらい、ほとんど1日中座禅をして過ごす期間があって、そのあいだはご飯は他の人が支度してくれるから、そ れ以外の時間はずっと座禅をしていて、夜は23時くらいまでやって寝て、翌日3、4時には起きてすぐ座禅をするという。
12月は8日にお釈迦様が悟りを 開いた日なので、1~8日の8日間は布団も取り上げられて、ひたすら座禅をするという日々。

修行中は托鉢の時と、ちょっとした買い物のための数時間以外は外に出る事もできない。ある程度、外の世界の情報からも遮断されるだろうと思う。そういう 日々を過ごす事は、この時代にとても切実に必要な気がする。

僕たちは人の手によってわかりやすくまとめられた情報だけを大量に消費する日々を過ごしている。情報というものは暴力なので、自分で善し悪しを判断する 感性を、多分僕たちは奪われている。その修行の日々に20代の8年間を息子さんは費やした。本当にすごいことだと思う。

正午過ぎにお寺を出発。和尚さんと奥さんが見送ってくれた。今日はここから10キロくらい南東にある津久見市まで行く事にした。道が2種類あって、くねくねとした旧道(山道)をいくか、2キロのトンネルがあるバイパスを行くか。旧道の方はバイパスの2倍くらいの距離がある。
長距離歩くのは嫌だけど、トンネルもすごく嫌なので、もう和尚さんに決めてもらおうとおもって聞いてみたら
「新しい道の方がええな。旧道の方は倍時間がかかる。トンネルがながくてしんどいけどな。」
と言われたのでバイパスを通る事にした。この和尚さんは長距離を歩いて旅(もしくは托鉢)した経験があるんだろうな、と思った。距離が倍あるっていう推 測の正確さとか、トンネルを通るのが辛いっていうのは経験した人じゃないと分からない。

そのトンネルには歩道が申し訳程度にあって、しかも幹線道路なので、でかいトラックとかタンクローリーとかが僕のすぐそばをすごい音を立てながら通り過 ぎていって、もう緊張しっぱなしで、本当にもう勘弁してくれという感じだったけど、歩道に残ってる足跡や自転車の跡とかを見て「先人たちは生きてここを 通過したのだ」と思って自分を励ましながら歩いた。 長いトンネルを抜けると生まれ変わったような気持ちになる。生まれる時に産道を通るイメージと似てる。

トンネルを抜けたところですぐにパトカーに声をかけられた。通例通り職質が終わったら、警官が
「これじゃ轢かれるよ~」
と言って、細長い反射板を2枚くれた。

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途中、いきなりラブホテルの廃墟が現れた。

津久見市に入ってすぐに見つけた「解脱寺」というかっこいい名前のお寺で、敷地の交渉をしたらまたもやあっさりOKをもらった。ここでも住職さんに
「何日おるの?」
と聞かれて
「1日です」
「あ、今晩だけか。ええよ」
という会話をした。

「解脱寺」という名前から、ここも禅宗のお寺かなと思ったけどやっぱりそうだった。丘の上に建っていて、津久見の町が見下ろせる。

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Posted by satoshimurakami