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今日までのこと。3月1日、神戸にいる僕と家を京都に運ぶため、椿昇さんが直々にトラックをだしてくれた。そのトラックのなかで椿さんと1時間半くらい話した。椿さんはISのことや、ロシアの政治家が暗殺されたことなどの問題を、ごく自然に自分のことのように話題にまぜて話をする。ぼくはそれがなかなかできない。試しに
「椿さんは国際的な問題を自分に引き寄せて考えてるじゃないですか。それってどうやってるんですか」
って聞いてみたら
「それは、昔から世界史オタクだったからやな。あと時代がそういう時代やったからな。いまの若い人が興味をもつものと同じように、赤軍派とかにいれこんでたからな」
というような事を言ってた。椿さんいわく、まず世代の違いがあるということらしい。椿さんの若いころは全共闘の時代で、まわりはみんな毛沢東を読みまくっていたような空気だったらしい。
京都に着いてからは、経済人の八木さんという人が全面的に協力してくれて、彼がオーナーのマンションの駐車場に家を置かせてもらい、僕はマンションの空き部屋に泊まらせてもらっている。
1日から4日までの間、八木さんやアルトテックの柳生さんに連れられて京都の経済人や文化人の方々と顔を合わせて絵を描く仕事をもらったり、「体調が悪い」ということを心配されてご飯を食べさせてもらったり、初めて見るような栄養ドリンクを70本くらいもらったり、良い鍼灸院の先生のところに連れていってもらったり、その先生からはお灸を180回分くらいもらったりしていた。とにかく椿さんや彼が率いるアルトテックの柳生さんと、京都経済同友会の信頼関係がすばらしくて、そのおかげで僕も八木さんや京都の経済人たちと面識をもつことができて、栄養ドリンクを大量にもらったり部屋を貸してもらえたりできている。僕は僕の仕事をとにかく誠実にやること。それだけが課されている。

そのあいだ体調は現状維持を保っていたんだけど、4日の夜に突然、何かにアタったような猛烈な吐き気に襲われて目が覚めて、トイレに這っていって便器に顔を出したんだけど吐ける感じではなかったので、便器に座り込んでうんうんとうなっていた。この時は本当にしんどくて、救急車を呼ぼうかとも思った。でも座ってしばらくしたら水のような下痢がでてきてそれからすこしおさまった。そのあと寝たけどまた1時間半後に吐き気で目が覚めてまた便器に倒れ込んだ。そうして戦っているうちに、朝になって東京から奈保子がきてくれて、アクエリアスなどを買ってきてくれた。一人から二人になるだけで全然違う。そして病院に行くことをすすめられた。僕は5日の夕方から行われる経済同友会主催のパネルディスカッションのパネリストとして呼ばれていて、それまでずっと寝込んでた。ディスカッションにはどうにか出席できた。不思議なことに、こういう場に出ると精神が肉体を凌駕してくれる。まだ話足りないなあというところで時間切れになってしまって、僕はその後の懇親会には向かわず病院にいった。
感染性胃腸炎と診断されて、胃炎の薬と整腸剤をもらった。あと「アクアサポート」っていう電解質補給飲料をくれた。これがあとで効いた。

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6日にはパラソフィアのオープニングレセプションに潜入した。すごく盛大なレセプションで、美味しそうな料理とお酒がたくさん並んでいる。人もたくさんいた。レセプションでのスピーチを聞いていると、みんな「新しい京都をつくる」というようなワードを連発させている。「新しい〜をつくる」というのは目標にはならないような気がする。「かたち」は漠然と新しいものを目指していった結果ではなくて、目の前の問題への危機感から起こした行動によって生まれる。そしてその後に「らしさ」がついてくるのだと思う。
「イカれるのも難しいですよね。イカれようとしてイカれたら駄目なんですよね。普通にやっていっていつの間にかイカれてないと」
っていうような話を、1日のトラックのなかで椿さんにしたら大笑いして同意してくれた。そういうことと近い。

そんで今日はパラソフィア一般公開初日で、いくつかある会場のうち京都市美術館と鴨川デルタのスーザンフィリップスの作品を見てきた。体調はだいぶ良い。まだ胃腸は万全ではないけど、倦怠感はだいぶなくなった。胃腸炎になるまえよりも良いかもしれない。もしかしたら僕は1ヶ月近くずっと脱水症状気味だったのかもしれない。下痢したり吐いたり、汗をかいたりすると身体から水分のほかにいろんな大事なものが流れてしまって、それが倦怠感を生むらしい。それは水を飲むだけでは回復しない。
パラソフィアはJoost Conijnというオランダの作家がサイコーだった。

ウェブサイトもかわいい
http://www.joostconijn.org/

Posted by satoshimurakami