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「道の駅岩城」から21キロ歩いて「道の駅にしめ」へ。去年とまったく同じ道のり。景色も覚えて る。道の駅にしめに着いたら、家を目立たないところに隠すように置き、事務所に挨拶に行った。
所長さんに「今年も来ました。また敷地にお邪魔します」と伝えると「はい。どうも。寒いから気い つけて」と言ってくれた。まだ2回目なのに慣れたもんだ。
挨拶をすませたら自分の家に戻る。家はトイレの建物の裏側に置いてある。家のまわりには室外機な どが置いてある。一般の客が入るところではない。そんな家に戻るとき、なんだかネズミみたいだなと思った。トイレの建物には大きなガラス窓があって、一部が曇りガラスになってるというものの、一般の客はトイレに入る時にこの家も目に入っているはず。でもほとんどの人は窓越しのこの家に気 づかない。僕はそういう隙間に住んでいる。

家にいくとき、清掃員の控え室の窓の前を通る。窓越しに掃員のおばちゃんがちょっとびっくりす る。清掃員の控え室のすぐ近くに僕の家があるっていうのも、偶然とは思えない。 清掃員は労働者の鏡のような存在だと思う。人々の足下へのアプローチとして最高にエキサイティングな仕事だ。朝、誰もいないオフィスに入り込み、誰もみていないところで床やトイレを掃除して、誰も出社していないうちにゴミとともにオフィスを出て行く。もっと足下を見なければいけない。荒川修作も足下をつくりこんでいた。

先週パリで起こったテロのことが、ようやく頭に入ってきた。「20世紀は戦争の時代だった。そのときの大きな犠牲の上で成り立っている21世紀は、テロの時代であるということを認めざるをえな いんじゃないか」と、インターネット放送でジャーナリストが話していた。そして2020年には東京でオリンピックがある。僕たちはもうただの被害者ではいられない。僕たちのこの"豊かな"生活の裏 には大きな犠牲・搾取・不安・憎悪がこれまでもあった。それを見ないようにして生きることはもうできない。この問題には終わりがない。

Posted by satoshimurakami