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下関市の長府駅前のファミレスJoyfullのテーブル席に座ってる。隣の席には女子二人組が座って台風の話などをしている。明日台風がこのへんを通り過ぎるらしい。このへんも夜になって段々風が強くなってきた。向かいの席には男性二人組が座って話してる。

さっきまで関門海峡の目の前にあるレストランでご飯を食べながら毎日新聞の記者さんと話してた。彼は去年まで熊本にいたらしく「水俣病の担当」だったらしい。「石牟礼道子さんに一度会ってみたい」と言ったら、最近体調があまり良くないとのことだった。彼は一度会ったことがあるらしい。石牟礼さんも関係があるというorange 橙書店というカフェを教えてもらった。熊本は地震から半年たったけど未だに瓦礫撤去も進まなくて屋根もブルーシートが被ったままとのことだった。見なくてはいけない。

僕たちがローンを払ったり住民税を払ったりする税制上の家あるいはあらゆるところで求められる「住所」として家は、シェルターという機能としての家とは全然関係がないものだということに気がつくことができたのはこの生活をやったおかげだ。それに気がつけたのは大きなことだ。僕の発泡スチロールの家は、いかに見た目が瓦の切り妻屋根っぽい家に見えても、この世界では「家」とは認められないらしい。道路に置いて寝ようとしたら警察が来たりコンビニの駐車場に置いたら不審な目で見られるのはそのせいだ。1万年の定住生活のせいで僕たちは税制上の住所としての家のことを「家」だと思い込んでしまっているらしい。僕の家が新聞とかで紹介されたりするときかぎかっこ「」がつくのはそのせいだ。

関門海峡には下関戦争の時に長州藩がつくった砲台のレプリカみたいなのがあったり下関駅前にはコリアンタウンがあったりして、歴史と朝鮮半島との文化交流のにおいがぷんぷんした。ウィキペディアで下関戦争を調べた時に写真が出てくる「長府前田砲台」の跡が長府の海岸沿いに残っていて、下関市立長府博物館にはそのときの砲台がフランスの博物館から永久貸与(下関戦争で砲台は全部連合国に持ち去られた)されて展示されてるようなので見に行きたい。

今日は朝山陽小野田市の青年の家のキャンプ場で起きた。起きた時2箇所くらい蚊に刺されていた。蚊は夕方と朝に来る。よく夜間の蚊の心配をされるけど、彼らは意外と夜は襲って来ない。夜の方が動物が眠ってるから刺しやすいはずなのに不思議だ。でも青森の種差海岸の蚊は一晩中襲ってきた。波状攻撃だった。あれはあの辺の蚊の特殊能力なのか。

近くのセブンイレブンで焼きそばとブルーベリーヨーグルトを買って3席しかないイートインコーナーで食べて、そのあと12時ごろまで道路に座り込んで絵を描いた。そんで12時過ぎにキャンプ場を出発。青年の家は定休日で誰もいなかった。キャンプ場の使用料100円を払わなくてよかったのかはわからない。

昼3時ごろに毎日新聞の記者の人と会った。「下関で台風をやり過ごすための敷地を探してる」と言ったら「旧社屋が使えるかも」と色々電話をしてくれ、「今は誰も使ってないから立ち入り禁止のロープが張ってあって、そこも寝られるけど警察が来るかもしれない。だけどもし他に敷地が見つからなかったら使ってください」と言ってくれた。

そのあと夕方5時ごろ、長府駅を超えてすこし歩いたところにある山陽道沿いのお寺につき敷地の交渉をした。最初の2つは幼稚園が併設された綺麗なお寺で、両方とも「私の一存では決められなくて、役員とか色々なところに聞かないといけないからうちは勘弁してもらいたい」「うちはちょっと難しいですね」と断られた。3軒目のお寺で「いいですよ~」と言ってくれた。小さな子供がいる賑やかで風通しの良いところ。小さなお堂の軒下に置かせてもらって、ここなら明日の台風も乗り切れそう。

そのあと、記者さんと合流して車で関門海峡の前のレストランに連れて行ってもらい、ふぐ刺し(まさかふぐ刺しが食べられるとは)とか鯨の唐揚げとか寿司とかをおごってもらいながら小一時間話して別れ、下関駅前のコリアンタウンにある「霧島湯」というディープな銭湯に入って電車で長府に帰ってきた。

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Posted by satoshimurakami