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右足のつま先の裏が痛い。昨日たくさん歩いたからなのか、なにか別の原因なのかわからないけど。内出血してるみたいな痛み。こういうのは初めてだ。昨日は久しぶりに長距離歩いた。
昨日は天気はいいけど風が強い日だった。午前中はお寺をドローイングしていたけど風で集中が削がれて、ドローイングの線が乱れたと思う。適当になってた。でも後で見返してみるとそれが面白かったりもするから、とにかく描き残していくことが重要なんのだと思う。こうやって日記を残すことも。
おとといの夜は「お寺の離れで寝るといい」と言われて寝ようとしたのだけどなんだか全然寝付けなかった。物置の雰囲気とかがあまり馴染めなかったし、普通に「自分の家で寝たい」と思った。僕は自分の家を作り、それをここまで運んできているのに、その家を野外において自分がここで寝ているという状態も突然許せなくなって荷物をまとめて野外(お寺の駐輪場)の自分の家に行ってそこで横になった。とっても落ち着いてすぐに眠くなった。みんなこの家で寝ることが辛いことだと思い込みがちだ。優しい人たちだ。
朝、目がさめたらすぐに住職さんがやってきて「朝ご飯準備できたよ」と言った。朝ごはんをお寺の中の客間のようなところでいただいた。お寺は新しく建て替えたばかりらしく、とっても綺麗だった。住職さんはとなりで新聞を読んでた。話を聞くとここは室町時代後期から続いているらしい。ご飯を食べ終わってドロイーングをしたあと、寺を11時過ぎに出発した。玉名市から熊本市に向けて国道3号線を通る山側のルート。25キロくらい。福岡に入ってからずっと思ってたけど九州の山はなだらかで歩きやすい。このあたりも筑後平野なのか。途中に大きな街はないけど町はあり、町と町の間にも途切れずに家があり、田んぼが広大に広がっていて遠くの方になだらかな山がある。そういう景色が続いている。
だいぶ暗くなってきた6時前くらいに熊本の友達の池澤さんの家の近くにある長崎次郎書店という本屋さんに着いた。池澤さんに電話したらたまたまお仕事がお休みで迎えに出てきてくれた。お腹が空いていたので本屋さんに頼んで敷地内にちょっとのあいだ家を置かせてもらおうと思ったけど店員さんと話してみたら色々と面倒そうだったのでそのまま解体して池澤さんの家に入れることに。屋根と壁を一枚はずしたら家をドアから入れることができた。一旦家を置いてご飯を食べに居酒屋に。月曜日なのにお店はとっても混んでいた。やっぱり熊本人は外で人と飲んでしゃべるのが好きなんだ。

話したこと。
僕は最近「家を動かしに家に戻る」という状態が続いている。一年目ほど、家につきっきりで一年中移動しているわけじゃない。特に今年はとても切れ切れにこの”移動”をやっている。今年は瀬戸内国際芸術祭のために小豆島に2ヶ月くらい滞在したところから始まり、そのまま島に家を預けて東京で展示に参加したり、山口県の防府で家を預けて長野で展示をしてスウェーデンに行って滞在制作をしたり、福岡県の久留米に預けて小豆島に行ったり札幌に行ったりし、そんで熊本について、これから熊本に家をしばらく預かってもらおうとしている。途切れながら続いてる。でも3日前に筑後で出会った人たちや一昨日出会ったお寺の人たちや昨日出会った住職さんも、僕が途切れなくこれをやっていると自然に思っただろうし、僕自身もずっと継続している意識がある。家を動かしに戻るという状態がなんなのかよくわからないけど、この家を動かす日々は何か考えを深めたりアイデアを出すのにとても大事な時間になってる。松本の家で過ごすのとは明らかに違うスイッチが入ってるし、どこかで滞在制作してる時とも違う。池澤さんは、この移動をずっとぶっ続けでやってるのを見るのは多分辛い。今みたいな切れ切れの状態が面白いと思うと言ってた。
僕は布を縫う時のことを思い出した。糸が表から見えなくなり、裏側を通ってもう一度表側に来る。そういうイメージで続いている。表からは見えないが、裏で糸が繋がっているような感じ。断絶と継続が両立するような状態になっている。逆に断絶があるから継続できる。僕はこの土地に糸を塗っていくようなイメージでやればいいのだ。この地面の下に走っている断層のことも思いつつ。断ち切ることで連帯するというか、終わらせることで始めることができるというか。そういう意味での「断絶」は前向きで良いものだ。
そういう話をしたら、池澤さんが「ラインズ 線の文化史」という本を貸してくれた。これがとんでもない本で、これからますます面白くなりそう。

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Posted by satoshimurakami