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アーランダ空港の清掃員はみんなおしゃれな制服を着ていて、日本でよくみるいわゆる清掃員のような格好の人はいなかった。まあ日本でも空港の清掃員なんかはちょっと洒落た格好をしているのかもしれないけど。アーランダにはなぜかやたらたくさん清掃員がいて、みんなちゃんと清掃用具が満載されたリアカーを押していた。綺麗好きなんだろう。国際空港は玄関みたいなもんだから、多分どの国もここはとばかりに掃除に力を入れまくっているはずだ。

アーランダからSwebusでストックホルム市街へ。しかしSwebusが大失敗で、全然バスが来なくて1時間以上待った。時刻表には1時間に2本は来ると書いてあるのに。そのSwebusを待っているあいだ、隣のレーンにあるFlygbussarnaというバスのストックホルム行きがボンボンきてボンボン発車していくのを見送りまくっていた。こっちのバスは10分に一本出ていて、料金も同じだ。絶対にこっちの方がいいぞ。次からは。

バスから外を見ていて思ったのだけど、森や木を見ているときになんとなく違和感がある。なんというか所在のない感じがする。自然のものって、どこで見ても自分の故郷のようなものだと思っていたけど、どうもこの国の木々は、自分に属していないきがする。一つ思い当たったのは、葉の緑の色のバリエーションがとても少ない。日本は緑色に色々なバリエーションがあって、それが見ていて落ち着くのだろう。こっちの木々はだいたいみんな明るい緑色で、樹種も少ない。町の風景を見ていても、所在がない。やっぱりどう考えても、清潔過ぎるというか、明る過ぎるというか、うまくできすぎているというか、そんな感じがする。ヴェネチアやロンドンに行った時は、多分感じなかった。これから2週間、ドイツとスイスとイタリアをまわるから、そういう雰囲気があるかどうか、感覚を研ぎ澄ませていたい。さっきまでModerna Museetに居て、Josef Frankという建築家の展示と、コレクション展を見ていた。数日前までマリーナアブラモビッチの個展をやっていたらしい。残念。この美術館、企画展以外は全部無料で入れて、それが素晴らしい。ただし企画展の入場料は120SEKもする。そこでアブラモビッチのCounting riceという、作品があって、それがどうも、多分すごく良い作品なんだろうけど、ちょっと死んで見えた。この国の美術館でパブリックな問題を扱う作品を展示するのは、うまく言えないけど、他の場所よりも難しいかもしれない。絵画や写真をみているときには起こらない違和感。なんだろう。どうしても見せかけのものにみえてしまう。特にこの国では。高山明さんの実践を知ってしまってからは、どうしても共同体とかの問題を美術館でやっているというのは見せかけの何かにしか見えない。アブラモビッチのも、すごく良い作品で、たぶん米を数えるパフォーマンスをやるんだろうけど、それをみたらとても感動するだろうとは思うんだけど、でも、しかし。手放しで感心できない。なにかの視座がごそっと抜け落ちてるような感覚。解明しないといけない。これは、僕は自分がどんどんやっていくしかない。

Posted by satoshimurakami