11300908

垂水から鹿屋に入る境界のあたりにいくつか温泉がありそうだという情報をグーグルであらかじめ調べていて、そこを目指して来たんだけど、道路沿いには「天然自噴温泉」と書かれた、完全に廃墟と化した建物と、その隣にも廃墟が一軒あるだけだった。向かいには営業しているらしい「ラーメンイーグル」というラーメン屋があったけど、それ以外には建物はなく、道路が続いているだけだった。右側の眼下に綺麗な砂浜が見えたので、昔は海水浴場として栄えたんだろうけど今は全部潰れちゃったかなあと思ったけどせっかく来たので、廃墟の前に家をおいて景色を見てたら、車が2台ほど立て続けにその敷地に入って来て、廃墟と海のあいだにある坂を下った海岸の方におりていった。車から出て来たひとは手に桶を持っていて、さらに奥の方に消えていった。どうも何かありそうだと思ってそっちの方に行ってみたら「温泉公園 天然自噴・黄金の湯」と書かれた木の看板があり、柵で囲まれた公園のようなエリアがあった。門のところに小屋が建っていて、その窓口に男性が座っていた。

「ここは温泉ですか?」

と聞いたら温泉ですと答えた。温泉があった。道路から見ただけでは到底見つけられない。超穴場だ。見つけた。テイエム温泉(「TM温泉」とも書いてあった)という温泉で、平成8年からやっているらしい。

近所にはラーメンイーグルの他には海と道路しかなかったので(ローソンが20分くらい戻ったところにあるにはあったが)、ここを敷地にするとトイレや食事など色々と厳しいかなと思ったけれど、雨が降っていて靴がぐしょぐしょに濡れていてこれ以上歩く気にもなれないということもあり、もうここを敷地にしようと決めた。窓口のおじちゃんに説明したら

「ここは7時までだから、それ以降は入り口にロープ張っちゃうんだよな。でも小さい家で一晩過ごすくらいだったら、そこの駐車場のところとか、大丈夫だと思うよ」

ということで敷地が決まった。その駐車場は道路上でみたあの廃墟の真下に当たる部分で、コンクリートの柱が何本も立っていて海の方に開けている。こういうと悪いが半廃墟みたいな駐車場。夜になると真っ暗になるだろう。ちょっと怖いけど雨風は入ってこなさそうなので寝るには都合が良さそうだった。

その内部の「脱衣所」と書かれた木で仕切られたスペースのそばに家を置いて、まずは風呂に入った。体、特に足が冷えていた。早く靴を脱ぎたかった。

お風呂は、トタンの屋根の小屋の中に浴槽とシャワーが備え付けられている簡素なつくりだったけど、温泉の成分の影響でいたるところが茶色く変色した粘土がくっつけられたような状態になっていて、さながら鍾乳洞のようだった。他に男性客が4,5人いたけど、みんな地元の常連客だろう。方言が強くて全然聞き取れない。話しかけようかとも思ったけど疲れていたのでやめてしまった。

お風呂からあがってラーメンイーグルに行こうと雨の中出かけてみたけど、お昼営業のみだった。なので晩御飯は万一のために事前にローソンで買って持っていた(古里温泉でのことがあったので食料はなるべく一食分多く持ち歩くことにしていた)パンとおにぎりを食べた。

テイエム温泉は夜7時に閉まり、閉まると同時に駐車場の電気も消え、誰もいなくなった。誰もいなくなったのを感じたとき、僕は自分の家の中にいたのだけど、外の駐車場の暗さを想像して怖くなり、ドアをあけて外を見てみようという気も起こらず、結局そのまま寝てしまった。翌朝何度寝かして、最終的に8時前に起きて(つまり12時間くらい寝ていた。最近このパターンが多い。)窓を開けてみたら駐車場の前に広がっている海の綺麗さに圧倒された。雨はすっかり上がって、朝日が鋭い角度で地上を照らしていて、陸地の木々や建物の影が砂浜のあたりまで伸びている。対岸の薩摩半島の山並みが霞んでいる。夏は海水浴場になる(窓口のおじさんが言っていた)だけあって、海岸線はとても綺麗な砂浜になっていて、内海らしい穏やかな波の音が聞こえる。誰もいない夜の駐車場はとても怖かったが朝になると逆にこのグレーの色調と海と空の青さが対照的で、景色がものすごく美しく見える。

ローソンまで歩いていって朝ごはんを買って戻って来ている最中に橋口さんから「もうすぐ着くよ」という電話がかかってきた。

27日の朝に橋口さんが僕のいる地点まで来て、家ごと車で拾ってもらい、肝付町という集落に言って彼の作品の撤去(大隅アートライブという展覧会)を手伝う予定になっていた。

彼が「え、温泉てこの廃墟のこと?」と驚いていたのでこの下にちゃんと温泉があるんですよと言って案内したら「こんなとこにこんな温泉あったんやな~」と喜んでいた。「村上の生活の醍醐味だな」と言っていた。

家から屋根を分解し、車でテイエム温泉から肝付町まで移動するあいだ、道路上にたぬきの死骸が転がっているのを何度も見たのが気になった。

橋口さんの作品の解体に丸二日を要した。作品は休校になった中学校の校庭に展示されていて、僕はその校庭に家を置いて二晩寝ることになった。橋口さんたちは「主事室」と書かれた部屋で寝袋で寝ていた。肝付町川上地区は、山と川と田んぼに囲まれた美しい集落で、滞在しているあいだ、木の皮に産卵中のキリギリスを見たり、橋口さんからフクロウの目撃談を聞いたり、猪肉の刺身を山平さん(橋口さん曰く「山の達人」)というおじちゃんに食べさせてもらったり、流れ星をみたりと楽しいことがあった。猪肉の刺身は美味かった。馬刺しよりも柔らかかったと思う。山平さんは「なんの臭みもないだろ。殺し方から肉の処理の仕方から色々あるからな。他の人がとった猪肉は、俺は食おうとは思えん。」と言っていた。

それはそうと後日山平さんたちが獲ってきたばかりの40キロくらいのイノシシも見させてもらった。ワイヤーで足を捕まえる罠をはり、罠にかかったイノシシと棒で格闘して仕留める。なるべくスマート。血抜きは心臓を一突き、なるべく小さな穴を開けてそこから血を抜く。なるべく肉や内臓に血がつかないようにすることが大事だという。それで臭みがない肉が食べられる。ちょうどイノシシを山平さんの家でご馳走になっているとき、テレビで「イノシシの農業被害をなんとかしないといけないが、猟師の後継者不足に悩まされている」というニュースが放送されていた。30歳の若い猟師が「経験のある人からちゃんと教わりたいけど、なかなか出会う機会もなかった」と悩みを語っていて、それを見た大平さんが「うちのところにきたら教えてやるのに。根性があればな。根性がないとだめじゃ」と言っていた。

大平さんは僕のことも気に入ってくれたらしく、電話番号を教えてくれて、電話くれたら猪肉を送ってやると言ってくれた。

別れ際に「アートの才能はないけどな、猪をがんばるよ。それしか能がないんだ」と言っていた。ずっとその言葉が僕の中に残っている。

ほかにも解体中に、近所のおじちゃんやおばちゃんから手作りのヨモギ団子やそば粉の団子をもらったりポンカンや柚子をもらったりして橋口さんは「わらしべ長者みたいだな」と言っていた。廃材の竹を一部もらってくれたおばちゃんがいて、その家の裏庭では”氏神様”も見せてもらった。おばちゃんはもらった竹を氏神様の足元の土どめに使いたいらしく「氏神さまも喜ぶ」と言っていた。

橋口さんから大隅アートライブの問題点についても色々聞くことができた。話を聞く限りではこれまで見聞きしたなかでも最もひどいレベルのポンコツ展覧会だった。詳しくは書かないけれど、県主催のイベントでディレクターもおらず誰がやりたいのかよくわからないまま始まってしまったことが色々と問題を生んでいる。後援のMBCという放送局とのやりとりや、役場の人間とのやりとりや、唯一のアートライブのスタッフらしいYさんという人とのやりとりなど色々聞いているともう笑い話レベルのポンコツ具合で「私は上から仕事としておりて来たことをこなしています」という人間しかいないような状態でこういうことをやるとこんなことになるという、最も分かりやすい事例をみた感じだ。運営側が”無自覚”に作家をナメていて、誰に責任の所在を求めればいいのかもわからない。たぶん関係者に文句を言っても一人一人はみんなポカンとするだけだろう。それは「うちの管轄ではない」とかなんとか言って。日本人の悪い体質が全部出ている。橋口さんと、大隅アートライブの話をしていたら日本が太平洋戦争を始める時の”空気”の話に変わっていったのも自然な流れだった。

そして橋口さんにこのキャンプ場まで車で送ってもらった。志布志よりちょっと南の大崎町というところにあるくにの松原キャンプ場。一泊五百三十円。野外にwifiも電源もある。名前の通り人工の松林が海の方まで広がっている。昨夜は雨だったけどいまは落ち着いている。僕は家の窓を一つだけ開いて、その窓枠にパソコンを置いてこの文を書いているのだけど、いま窓の外を4羽のキジバトが地面をついばみながら歩いて行った。

昨日の夜は「本日の子牛の競りの状況をおしらせします。めすの最高価格、1,363,000円。平均価格743,000」という町内放送と「こちらは大崎選挙管理委員会です。12月3日日曜日に予定していました大崎町長選挙は無投票となりましたのでおしらせします。」という町内放送が大音量で流れていた。昨日も昨日とて9時には寝てしまった。

これから絵を描いて、夕方までに志布志のフェリーターミナルまで歩く。

Posted by satoshimurakami