3月23日(二日目)

昨日の実技の模擬講習を担当していた教官の男性は、高松のなタ書のキキさんを思わせた。訛りと、猫背っぽい姿勢と、あと言葉の発音のタイミング?でもここ掛川自動車学校のいち教官が、香川県にいる古本屋の店主を思わせるっていうのは不思議だ。人が別の人を思わせるとき、何を感じているのだ。

僕が泊まっているホテル「バジェットイン掛川」には、無料で使えるマッサージチェアと、1日200円でレンタサイクルもあるらしい。観光地も書いてある手書きのシンプルな周辺地図ももらった。この地図によると、掛川の観光名所といえば「掛川花鳥園」らしい。みみずくのイラストが添えられている。行きたい。それにしてもまだ二日目。ここにあと二週間もいると思うと爆発しそうになる。他の生徒は、休み時間には自習室にいって教習の勉強をするか(あるいは自分の学校の勉強をしている人もいるだろう)携帯をいじって何か動画を見たり漫画を見たり(漫画が多い印象)ゲームをしたりしているか、ロビーのテーブルでつっぷしているかしている。ねむいんだろう。

昨日から探しているけど、僕みたいに自分のパソコンを持ち込んでそれに向かっている人はいない。この教習所のロビーは天井も高くて机も椅子も清潔で居心地は良い。昨日は風が強かったけど今日はそんなに風もなく、曇り空ながらほとんど晴天を思わせる明るさで気持ちが良い。

今日は1限目から教習があった。一時限目は8時10分から始まる。朝7時35分にホテルに迎えに来たマイクロバスに乗り、無言のなか15分くらい運ばれ教習所に着く。バスは1台ではホテルの生徒を乗せきれず、応援の2台目を呼んでいた。一限目は「安全の確認と合図、警音器の使用、進路変更など」という授業。

話を聞いてるとそこで語られていないことのほうが気になってしまう。全く文明が違うけど言葉は通じる宇宙人に自動車講習を施すとしたら、こんな語り方では全く通じないと思う。宇宙人は極端だけど、この教室でも教官からしたら車についてどこまでしっているかわからない相手にむかって一方的に話すだけだ。彼の話が教室にいる人のうちどれだけの割合にどのくらい届いているのかはわからない。例えば進路変更したいときは3秒前に合図を出すことになっているらしいが、進路変更は同じ車線内でも、道の左側が空いてるときなんかは左に合図を出してから左に動かないといけないらしいけれどそのとき左による具合がどのくらいなら合図を出す必要があるのかとか、そういうニュアンスは、言及されないままなんとなく共有されている。50分きっかりの授業をきっかり何回受けないとだめみたいなことも決まっているらしく、なんか時間潰しとほとんど変わらないことをやらされている感じだ。たぶんそういうこととか、当たり前のことを当たり前に話すこととかが辛過ぎて、多分教官たちはユーモアを交えたり自分の体験を話したりするんだろう。

「前の車に乗ってるブラザーのバイブスキャッチしながら運転してくれ」とかそういうほうがいいかもしれない。

授業は、昨日の「運転者の心得」という最初の授業よりもずっと人数が多かった。みんな延泊しているひとたちなのか?この自動車学校にいる生徒たちは現在ほとんど合宿で来ている人たちだろう。なんとなくわかる。授業を聞き逃したり、試験に落ちたりテストがダメだったりして延泊という事態になる人は結構たくさんいるらしい。教官はメガネの男性だった。50は過ぎているだろう。でも昨日出会った、居眠りに抵抗する人をサイコーだと思っている教官よりも毛がふさふさしている。あっちの方が若そうなのに。髪の毛の量は年齢と関係ないのだ。まず割と高画質の映像を見せられる。聴覚障がい者に配慮してか、すべての音声は下に字幕がでる。映像は車が走っていたり車で走っていたりする映像ばかり。最初にちょっとノレそうな音楽がBGMとしてかかり、語りが始まる前に字幕が下にでるので、なんかダサいミュージックビデオでも見せられるのかと一瞬ひやっとしたけどさすがに歌ったりするわけではなく、淡々と「自動車にのるさいには~」みたいなナレーション。

先生は、サイドミラーで見える範囲と前方への視界の範囲のどちらにも属さない、三角形の死角について話すときに。「これね、三角形だけど死角っていうんですよ。」と言っていた。

「もしね、ウインカーが壊れて合図が出せなくなったら、右折したい場合は右手を窓から水平に出します。あ、でもこの教室にはお金持ちも多そうだな、左ハンドルの場合は、右に曲がりたいとき、右手を水平ののばすとどうなりますか。助手席にいるひとの肩を抱いてるようにしか見えない。もし恋人だったらどきどきして嬉しいですね。でも後ろから見たら、なんかいちゃついてるなとしか思えないですよ。」

お金持ちも多そうだな、とは、パワハラとかひどそうな人だ。

「警笛ならせっていう標識が出ているときは、かならず警笛を鳴らさないといけません。でもみなさんはふだんはこれを目にすることはありません。たとえば住宅街の交差点にこの標識がでていたらどうなりますか。その隣に建っている家は、一日中自動車のクラクションを聞くことになります。朝はめざましでいいかなと思いますが、夜中の1時でも2時でも、それを聞いていると『もう引っ越そうか』というふうになりますね。でも家のローンはまだ残っている。どうなりますか。」

この話がものすごく深い問いかけに思えたのだけど、しかしそんな意図はないんだろう。なんで家のローンの話になるんだ。

あとバイクが住宅街に入って、ある家の前に停まってその家のほうを見てクラクションを繰り返しならしている映像を見せながら

「あと、こんな時は鳴らしてはいけません。バイクが家の前に止まって警笛を鳴らしています。友達と待ち合わせですね。うるさいですね。」

すると、その家からではなく、周りの家からなんか人が出て来て集まって来る。

「なんか友達じゃない人集まって来ちゃった」

ここで教室で笑いが起こる。

「迷惑ですね。こんな朝から。こんな使い方はしてはいけません」

このバイクの一連の説明に5分くらい使ったりする。

また青信号でも進まない車に向かってラクションを鳴らすのは、気持ちはわかるけどダメです、という話をしたあと、クラクションを鳴らしてせいで怒りを買い、殺人事件まで発展してしまった例を話してくれた。

「クラクションは怖いですよ。私もね、体験あるんですけど。交差点で信号待ちをしているとき、前に軽自動車がとまってました。助手席に、女性が座っていたんですけどね。ちょっと私のタイプでね。髪の長い可愛らしい女性でした(こいつはセクハラも酷そうだなと思った。同じ職場で働きたくないタイプだ。後ろの生徒も、『何の話なんだよ』とつぶやいていた)。それでね、信号が青になったんですけど、前の車が全然動かないんですよ。私は気が長いから待ってたんですけど、そしたらね、私の後ろの車がブーッってクラクション鳴らしたんですよ。もうびっくりしました。そしたら進んでくれたんですけど、すぐまた赤信号に捕まって、そのとき前の車の助手席の女性がね、後ろを振り返って私のほうを見てくるんですよ。私が鳴らしたと思ってるんですよ。運転席の男性にもバックミラー越しに見られちゃって、しょうがないからわたしも後ろの車を見ました(ここで笑いがおこる)。後ろの車はね、けろっとした顔してるですよ。もうわたしはこれ以上この車をついていけないから、本当はまっすぐ行きたかったんだけど左に曲がりましたね。あのときわたしナイフ持ってなかったんですけど、ナイフ持ってたら後ろの車の人刺しにいってましたね」

いったい何の話をされていて、こいつは一回の授業でいくらもらっているんだろうと思いながらずっと聞いているわけだけど、基本的にこんな授業ばっかりだ。こんなばっかり受けるくらいなら、教科書を買って自分で勉強した方が時間もかからない気がする。自動車学校は敷地内で車に乗る練習ができるという特権だけで成り立っている商売だ。

このハラスメント親父の授業が終わってつぎの授業は「車の通行するところ。通行してはいけないところ。」という内容。例によって映像が流れはじめ「車が通行位置を正しく守れれば、道路を安全で円滑に通行することができるわけです」というようなナレーションがはじまる。そうなのか?通行位置とかよりも、優しさとか思いやりとかが大事なんじゃないかと思いつつ眠くなる。教官はメガネでマスクで短髪の男性。いままで出会った教官の中でもっとも髪が短い。しかし、なんでこうも男性のしかもおっさんばっかりなんだ。この先生は、これまでの教官の中では最もクセがない人だった。ユーモアもなかった。途中、眠くなるのを防止するためか教室に座っている生徒の間を歩きながら話(講義とはよびたくない)をしたりしていたけど、とても眠くなった。どの講習も基本的に、教科書に線を引く場所を教えてもらうための時間みたいなもんだ。

ぼーっと聞きながら「人の話を聞いて、眠くなるなんて本当に久しぶりだ!」としみじみ考えた。大学の授業以来?卒業してからここまで、人の話で眠くなるなんてことはほとんどなかった。僕の人生は恵まれている。

考えてみたらお金を払ってこの講習を受けていることが不思議だ。お金をもらって車の講習をうけるならまだしも、すっかり一般化してしまった車に乗れるようになることに、多額のお金を支払うのは不思議だ。お金をもらっても払ってもあまり意味が変わらないのが自動車免許かもしれません。

これから適性検査とやらを受けに行く。

12:03

適性検査はなかなか面白かった。同じ図形を探すやつとか、ロールシャッハテストも出題された。三日後くらいに結果がわかるらしい。また60問くらい「あなたは思い立ったらすぐにやらないと気が済まないですか?」「あなたは知らない人相手でもすぐにうちとけることはできますか?」「あなたは一度決めたことをかえるのが嫌な頑固な性格だと思いますか?」みたいな問題が出題されたのだけど、全部「場合による」としかいいようがないだろとおもいつつ、「そう思う」か「そう思わない」か「わからない」みたいな三択を、1問につき2秒くらいのシンキングタイムでどんどん答えた。あんなんで人の性格がわかるのか?あんなテストで僕のドライバー適性がわかるのか?適性を知るには話すしかないだろうと思ってしまうんだけど、しかしこのテストを作ったのは東大とかの偉い先生方らしいので、僕が「全部場合による」と考えるなんてことは全部お見通しなんだろうと思いたい。

そのあとお昼ご飯の時間だったのだけどあの狭くて空気が悪くてうるさくて、人が人と話してるのを気にしてしまうような食堂で何か食べる気にはなれなかったので、というかみんなよくあんなところでご飯を食べる気になるな。若いからか?僕が年をとったからなのか?しばらくどっか良い飯屋ないかと思って、ランチをやってる、店内がほとんど見えないインド料理屋を見つけたので入ろうとしたけどどうも踏み切れず、隣の丸亀製麺で明太釜玉うどんをたべた。インド料理屋はまた後日。

食後、しばらく散歩した。ほんとは学校にいるあいだくらい、自動車免許の勉強をしたほうがいいんだろうけどどうもまだやる気になれず、こんなんで僕は免許がとれるんだろうか。あなたはどう思う?

春の午後で、風はなくて、気温もちょうど良くて花粉症でもないのでただ陽気で気持ち良いはずの日差しの中どんなに散歩しても心の中心まですっきりきれいに晴れるなんてことはなくて、でも考えてみれば今までそんなことは一度も経験したことがない。いつもなにかひっかかるものがあり、影があり、足を取ろうと待ち構えてる沼みたいなものがあり、いま思い返せば、大人になってから、いま大人なのかどうかもわからないけど、それを振り払おうと一生懸命やって来た。小さい頃は違ったかもしれない。でももう覚えていない。宗教のない世界なんて可能なのかっていう問いが、ウェルベックの小説のなかにあった。人はたぶん不完全さを不完全さのまま受け止めることもできないという致命的な不完全を抱えている生き物なので、何か晴れ渡って一点の曇りもなくて喜びしかないみたいな歌を歌う人は新宿駅前の路上とかにたくさんいるけど、100パーセント何の曇りもない希望とか未来なんてものは存在しないので、僕は嬉しくて悲しい歌とか、楽しくて寂しい歌とか、そういう歌が好きだ。

14:58

今日最後の座学がおわった。「歩行者の保護など」という講習。生徒が多い。80人くらいいる。みんな若い!高校にいるみたいな気持ちになる。若さがまぶしい。未来が感じられる。目が輝いている。笑っている顔に陰りがない。これまでは僕は先生をよく観察するために前の方に座ってきたけれど、今回は後ろに座らざるを得ない。教官はメガネマスクのおじさんだ。以前もどこかで見たような気がする。

「横断歩道で歩行者が渡ろうとしてたら、一時停止しないとだめですよ。横断歩道で事故起こしたら一発逮捕だよ。みなさん手錠かけられたことある?・・いや、真面目に答えなくていいですよ。このあいだ聞いたら、一人、おじさんが手をあげちゃって、まずいこと聞いちゃったな~と。ヤクザだった。すごいよ。本物のヤクザは。すっごく紳士だった。卒業する時、黒い車が10台くらい迎えにきてた。あんな運転手ついてるなら、あなた免許いらないでしょ。って言ったよ。彼は100点で卒業したからな。卒業する時に『先生のおかげです』っていうから、『いや、ぼくのおかげじゃないよ』って言って、『いや、先生のこと忘れないです』って言うから、忘れてほしいなあと思ったんだけど・・。」

このあと、6時50分から、2回目の運転教習がある。エンストに気をつけたい。

17:09

教官は昨日と同じおじちゃんだった。場内のサーキットは教習車で混んでいる。2,30分くらい、昨日と同じようにハンドルのまわしかたがダメとかクラッチがそんな急にあげるなとか、アクセルはいまは踏むなとか散々言われながら運転したあと、前方の車が動かなくなったのでうしろについて停車しているとおじちゃんが突然

「あんた、仕事は?」

-自営業ですね

「自営か。もっと早く免許とろうとはならなかったんか」

-そうですねえ。東京生まれなので必要なかったんですよ。

「東京か!まあ便利やしな。自営ってなんのしごとしとるん」

と、会話が始まった。MT乗車2回目にして会話をこなしながら運転するという高度な技を求めらていると思いつつ

-作家です。

と答えた。

「あんた、作家か。小説とか、書いてるのか。短編とかか。小説とか、読まんもんでな。わからんけど。何部くらいなんだ。最高で。」

-2千部くらいですねー。

「二千か。クラッチ、セカンド。」

-はい。セカンド。でも最近本が売れないんですよ。(適当なこと言ってしまったと思った)

「そうか。たしかに、活字離れっちゅうしなあ。」

-絵とかも書いてますけどね。(mt運転2回目のこの状態で僕の活動を細かく説明する余裕はなかった)絵本とか。

「絵本か!」

彼の話も聞くと、なんとこの仕事を50年やっている、77歳の超ベテランだった。色黒の。50年・・。父ちゃんが免許とるときも余裕で教官だった年齢だ・・。かなりぶっきらぼうで口悪いところあるけど、なんかむき出しの人間味みたいなものが感じられて、たぶん良い人なんだらうとは昨日から思っていたが、やっぱり良いおっちゃんだった。愛情のある元気なおっちゃんだ。色々話しかけられると運転に集中できなくてちょっとアレだけど話ができるのは嬉しい。50年、自動車免許の教習してるひとの話、きいてみたい。彼は機械いじりが好きで、暇な時は車をいじったりしているらしい。

「なんも脳がないからこの仕事しとるでな。あんた、うまくなったよ。ほんとお世辞じゃなく、年にしては笑。うまいほうだよ。若い人より。クラッチが使えないひとが最近多いでな。」

「あんた、たぶんいける。規定で出られると思うよ。」

「いまは忙しいけどな、あと一週間もすればがらがらになる。」

褒められた。あんな色々言われていたので、褒められるとすごく嬉しい。この、、喜び。なんだこれは。心ってやつはなんて単純なんだ。

「明日はオートマでな、オートマは簡単だから。じゃ」

と別れた。車を降りたとき「あ、そういえばここは教習所だった」と思った。一瞬、別の世界に飛んでいったような感覚。

この時点でもう8時ちかくになっていてホテルの夕食は8時半なので今日はさすがに送迎バスで帰ろうと思ってバスに乗る列に並んだらバスが僕の前で一杯になってしまって、別の職員さんが運転する教習所のバンに、別のホテルの合宿者4人と一緒にホテルまで送ってもらうことになる。4人はみんな多分18歳くらい。

「ピアスしてないほう、いるじゃないですか。ああいうのもてますよね。」

「つかどっちもモテそう。」

というような話をしていた。みんなここにきて友達を作っている。会話の内容が、なんというか若い。

21:16

Posted by satoshimurakami