07171414

おの件のわかめスープはミ(ビ)ヨクというらしい。

釜山は公園がすくなくて、街に余白がないような気がするといったけど、僕は普通に家賃を払って借りているアトリエや家にいるときは部屋の中で仕事をするんだかしないんだかはっきり行動に移せないままごろごろしたりしがちで、そういう時間も好きで、そういう時こそ、家にいるなあという気がするのだけど、街で敷地を借りて暮らそうとするとそういう余白的というか、茶の間あるいはリビング的な場所をみつけにくい。なぜなら現代でいう街は矢印でいうと矢の先にあたる部分なので、目的主義的というか、例えば僕はカフェはかなりリビングに近い使い方(ファミレスはもっとそうだけど韓国には存在しない)をしているけど、それでも最低限の「カフェにいる人がするべき振る舞い」は強いられている。何時間も居座ったりするのは気がひけるし、パソコンを開いてたり本を開いてたり、なにか描いてたりしないとダメだという気持ちになる。そういう意味では、街は人をなんらかの行動、アクションに駆り立てる役割を持っている。なので家にいてどうも元気が出ないとかやる気がないとか、消費してばっかりだと思うことになったらまず街に出掛けることが大事だ。僕も寝るとき以外は全然家にいない。また逆に矢印の元のような場所を街に見出していくというのも面白い。パソコンとコーヒーを持って道路でちょうど良い場所をさがしたり。

行きつけだった銭湯には浴槽が2種類あって、ヨルタン、オンタンとそれぞれ書いてあるのだけど。前者は熱い湯、後者はぬるい湯を意味している。ヨル、という字面が熱いを意味することをなんとなく僕は知っているような気がして、とても懐かしい気持ちになった。なぜだろう。なぜ僕はヨル、が熱いを意味することを知っているのだ?

Posted by satoshimurakami