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どうも気温というのは、夜中の1時くらいから明け方にかけて一番下がるみたいだ。0時くらいまでは昼の熱気が残っている。昨日は一昨日よりも湿度が低く、割と眠ることができた。5時ごろに一度起きて、いつもなら二度寝をするのだけど、5時45分ごろにラジオ体操のために集まってきた数人のご老人たちの話し声で眠ることができず、そのまま6時半には起き上がって家を出た。かつての将軍たちは、夏にここで眠れたのか?

イートインコーナーのあるファミリーマートで朝ごはんのハンバーガーを食べ、いまは枚方T-siteというスーパーお洒落ビル1Fに入っているスターバックスコーヒーでスターバックスラテを飲みながらこれを書いている。なんとこのビルは3階にもスターバックスがあり、ビルのなかどこへでも飲み物を持って歩いていいような雰囲気が醸し出しされている。なんというお洒落さだ。建物の外観だけ見るとコンテナの形をしたガラスの大きな長方形のキューブがいくつか折り重なってて木製のルーバーのようなものも付いているので藤本壮介と隈研吾という感じの見た目だけど竹中工務店だった。ティーサイトは座るところがある。ソファとか、CDの試聴機とか。座るところがあるのは本当に助かる。素晴らしいことだ。街には座るところがないのでいつも困っている。いつも座るところに困っているような気がする。

雨が降っている。ゲリラ豪雨とかではなく、パラパラと継続的に朝からずっと降っている。今日まで3日間連続で動いてきた。今日は動くのをやめて休もうかと思う。すぐ近くにGOENという名前の宿があり、そこで泊まろうと思った。ただ家の置き場所が問題だ。宿の人に相談する必要がある・・。

昨日はマクドナルドを出た後、どうにも眠くて歩く気力が湧かなかったのでどこかで仮眠できないかとおもって街を探したらコミックバスターというネットカフェを見つけた。仮眠室と呼ぶ。仮眠室は3時間1200円ですこし眠り、それから歩き始めた。とりあえず淀川資料館を目指した。

特に暑い日だった。日差しもあり、前日までと同じように自動販売機やコンビニで飲み物を補充しながら常に、1本は飲み物をもっているような状態で歩き続けた。スポーツドリンクか、水かお茶と梅干しの組み合わせ。ただ淀川の川沿いを歩いてる時、雷の音がきこえてきて、空を見たら、上は意識しないと見ないので気がつかなかったのだけど、厚みのありそうな雲が右から、つまり南東の方から近づいていた。そのうち稲光も。昼に見る稲光は久々に見たような気がする。そして気温が下がってきた。道路は日陰になったり日向になったりしていたが、だんだん日陰ばかりになってくる。何故か車や自転車の行き来も減ってくるような気がする。

しかしラッキーなことに雨には至らず(あとで公園のおばちゃんの話を聞いたら大阪市の方はすごい雨だったらしい)、1450の時点で雨雲だったエリアは大方抜けた。ほっとした。ローソン摂津鳥飼中二丁目店でおやつ休憩を挟んだ。はちみつパンと梅干しとお茶。1520分には日がさしてきた。

17時くらいに資料館に着いたのだけど資料館は16時まで閉まっていて、隣の淀川河川事務所に行って受付の女性に

「淀川資料館て閉まっちゃいましたか?」

「そうですねえ。3時45分入場締め切りですね」

「明日はやってますか?」

「はい。やっております。是非」

「じゃあ明日伺います。それでひとつお聞きしたいのですが、僕こういう自作の家を背負って、絵を描きながら歩いて回っているんですけど」

「はあ。はい」

「このあたりで今日この家を置いて寝る場所を探してまして」

「はい」

「この事務所の敷地の駐輪場とかお借りできないかなという相談なんですが」

「はいはい。はあ。ちょっとお待ちくださいね。総務のものを呼びます。」

と、総務の人に電話してくれ、しばらくしたら総務部のおじさんが女性を一人引き連れてやってきた。

僕は同じ説明をしたが

「はい。申し訳ないんですが、ここは国の土地なので、寝泊りということはできないんです。」

「はあ。そうなんですか」

「公共の場所ですので。はい」

「わかりました。なんとかします」

交渉失敗した。まあ完全に予想通りだった。「公共の場所だから」という決まり文句。釜山となんでこんなに違うんだと思ったけど、釜山は市立現代美術館の人が交渉してくれたので許可が出たのかもしれない、と思い、すぐに21世紀美術館の齋藤さんに電話して

「今月の最後の日あたり、金沢市役所の敷地に一晩村上が眠っても良いか許可をもらってくれませんか?」

とお願いした。これで許可が出るかどうかで金沢と釜山、ひいては日本と韓国の公共施設の考え方の違いが明らかになるはず。河川事務所がダメだったのでそこから300mくらい離れた万年地山と呼ばれる山の上にある神社に交渉しにいった。日本で本当に公共の場所なのは、役所や公園ではなくてお寺と神社だ。

神社のほうはインターホンを押したら女性が出てきて、事情を説明したら

「ああ、ちょっと待ってくださいね」

と引っ込んでいって、今度は神主さんらしき男性が出てきて

「神社の中はね、実際困るんですけど、この下に梅林がありまして、その向こう側のあたりがいいですよ。公園みたいな。水もあるし、屋根もある。」

「そうですかあ」

「境内で寝泊りはね、昔ちょっと問題があったんです。夜中マラソンしてる人とかがみて警察呼んだりもするかもしれないし・・」

と神主さんは笑っている。「とにかく一度場所を見てみてください」

「わかりました。ご親切にありがとうございます」

とのことで、昨日の敷地は御茶屋御殿展望広場という小さな公園だった。静かで、淀川の向こうの高槻市のほうまで見通せるくらい見晴らしが良くて綺麗な場所。かつて豊臣秀吉が建てた御茶屋御殿の跡地らしい。ここにお茶屋を建てる気持ちもわかる。かつては秀吉もここを訪れたであろうし、徳川2代将軍秀忠と3代将軍家光も滞在したと、看板に書いてある。他にお寺もあったのだけど、お盆で忙しそうな雰囲気だった上に僕はとても疲れていたので交渉する気力もなかった。

家とともに広場に入ると、東屋の下のベンチで女性二人が座って話していた。少し話した。「ちょうどノマドワーカーとして働き始めようかなという話をしてたところなんですよ!」と興奮していた。そのの二人が帰った後、おばちゃん三人とも立て続けに話した。ここらは近所の人が散歩(犬も)がてら来る場所らしい。「ここで寝ます。一晩お邪魔します」と、言ったら「ここ涼しいからいいですよ。淀川からの風がくるからね」といわれた。この言葉に救われた。この公園は大丈夫そうだ。上の神社が守ってくれますよ。とも言われた。「あとお風呂があればいいんだけどねえ、前はそこにあったんだけどこのあいだの地震で煙突が崩れちゃって、、、」とも。優しくて気が回るおばちゃんだ。「このあたりの人は穏やかだから大丈夫ですよ」。ちなみにそのおばちゃんは昔北千住に住んでいたことがあるらしい。「あの橋がつながる前ね」と。どの橋だろう。

そのとき、ここでは毎朝6時からラジオ体操があることを教えてもらった。「これは早起きを覚悟しなければ・・」と思った。「ラジオ体操ですか・・みんなびっくりしますね」といったら「いいじゃない」と。この公園は本当に大丈夫そうだ。こういう公園だったらこれからも敷地にしてみたい。ラジオ体操は嫌だけど。

ここまでの日記はスターバックスで朝書いた。いまはサイゼリヤで書いている。チェーン店を渡り歩いている。チェーン店はなにか文章を書いたりすこし時間をとって作業をするには適している。サイゼリヤはオフィスのつもりで入ったわけではないのだけど。パスタを食べたはいいのだけどサイゼリヤは厨房で火を使わないで料理を提供しているらしいのだけどこれがどうも今日は体に合わない・・。なんか個人がやっている店に入ればよかった・・。店員も機械的に客をさばいているだけだということを、今日は特に強く感じる。自分が人間なのかどうか怪しい気持ちになってくる・・。さっき昼寝して起きたばかり(昼寝と言ってももうすぐ21時になるのだけど)なこともあるのか。起きてすぐにサイゼリヤは精神によくない。気持ちが上向かない。

日記の続きを。御茶屋御殿展望広場に家を置いてまずお風呂に入りたかったので調べた。最寄駅の枚方市駅の近くに天の川温泉というお風呂場があると出てきたので行ってみた。敷地は高台にあるので「街に降りる」という感じがする。眺めの良い山手から、低俗と言ったら言い過ぎかもしれないけど大衆的な場所に降りる感じ。デ・ゼッサントのような気持ちだ。そう、敷地として淀川の河川敷もゲリラで使ってしまうことも考えたが、「住むなら山手の方がいい」と思った。駅近くにも公園はたくさんあるけど御茶屋御殿展望広場とは雰囲気が全然違う。下の公園は、人がすむようなところではない。

家から街に降りる途中にはちょこちょこ、洒落たパン屋や民家を改装したカフェなどがある。個人のお店。でもカフェはお盆休みなのか昨日も今日もやっていない。パン屋は昨日はやっていたような気がする明日やっていたら入ってみよう。

街に降りて、間取りをすこし確認してみた。というかトイレを探した。駅の当たりはかなり大衆的に栄えているので、トイレはたくさんあった。ここまでが10分弱かかるのだけど。

トイレ。家から近い順に

・ファミリーマートのトイレ おそらくここが一番近いトイレ。24時間。

エル枚方という駅の高架下をつかった商業施設の公衆トイレ。ここも綺麗だった。おそらく1030から2300すぎまで使える。

岡東中央公園という、茶髪のお若い方々が異常にたむろしていた公園にある公衆トイレ。汚いけどたぶん24時間。

t-siteのトイレ。例のお洒落ビルの公衆トイレ。7時から23時まで。ここも綺麗だった。

トイレが4個もある。

そしてお風呂場に着いたのだけど、そこは駐車場になっていた。隣の宮之阪駅というところにもうひとつ、宮之阪温泉というお風呂場があるらしいので阪急電車に乗って宮之阪駅へ行った。お風呂のため家を残して体だけ電車に乗るときには若干の違和感を感じる・・。

お風呂は440円。めっちゃ人懐っこそうなおばちゃんが番台にすわっている。若い人もご老人も中学生くらいのグループもいる。活気のある街のお風呂場という感じ。風呂に入る前にプロテインを脱衣所で飲んでいるお兄さんにたいして番台からおばちゃんが「それ、飲むの??なにそれ。からだにいいの?」と聞いていてお兄さんは「いま運動してきたから」と答えていた。文字に起こすと噛み合っていないけどその場では会話は立派に成り立っていた。

お風呂に入った後t-siteの椅子(タダで座れる、この国では数少ない椅子のひとつだ)に座ってツタヤのCD貸出コーナーでCDをすこし視聴したりして夜の余暇を過ごした。本当はオフィスで仕事ができればよかったのだけど1日中なにか制作をするのは無理らしい・・。

閉館までそこにいて、家に戻って0時過ぎに就寝。冒頭にも書いたとおり、暑かったけど風があったので比較的眠れた。ラジオ体操でおばちゃんが5時45分ごろに集まってきたときに外から

「人が寝てはるんちゃうかな。でも公共の場所やから喋らせてもらいます。」

と声が聞こえた。またラジオ体操の前に

おばちゃん「今日も」

その他のご老人方-「今日も」

「良い天気」

-「良い天気」

「心は」

-「心は」

「晴れ晴れ」

-「晴れ晴れ」

と、みんなで掛け声?の復唱をしていた。。

おばちゃん今日は815日。」

「敗戦の日」

とも。敗戦の日。だ今日は。

そして冒頭に戻る。スターバックスで途中までこの日記を書いたときに雨が降っているのを見て、今日は歩くのやめようと決め、また涼しいところで眠りたかったのでこれは休憩しようということでブッキングドットコムでそのスターバックスからすぐ近くにあるGOENというおしゃれなドミトリーの宿を予約した。普段は2000円を切るやすい宿らしいけどお盆価格で4300円。

その後淀川資料館にいった。とても面白かった。三十石船という江戸時代の客船にまつわる展示、昔から淀川水系は洪水に悩まされ続けてきており、その治水の歴史の展示、淀川に住む生き物たちについての展示など。

三十石船のセクションで、「淀川両岸一覧」という1862年ごろに発行された、淀川の景勝地を絵で紹介する観光案内の本が2ページだけ展示してあったのだけど、どちらのページも現代人の僕には「家と木と川があるところ」が描かれているとしか思えず、この二つの「景勝地」に違いを見出し、楽しんでいた昔の人々の感性が羨ましくなった。

また知らなかったのだけど、淀川は何度も治水のための大規模な工事が行われていて、特に明治18年の水害がきっかけではじめられた工事は、新しい淀川をつくるという大工事だった。淀川はいまでこそ割とまっすぐ大阪湾まで流れ込んでいるけどもともとはかなりくねくねと曲がりくねった川で、しかも400以上の水路が流れ込む琵琶湖から、たったひとつ瀬田川という川しか流れ出ていないらしくその瀬田川も淀川の上流にあたるので淀川にはとにかく氾濫が多かったらしい。大正6年の水害を堰き止めた過程を説明する文章が秀逸だった。

『決壊復旧工事は減水を待ち、10月6日ごろから始められました。水深が深いところでは30尺(約90m)もあったため、長さ13尺から30尺の大杭を打ち、杭の周りに土俵や粗朶を積み込む予定でしたが暴風雨のため工事が中断。12日から工事を再開したものの、決壊口からの水の流れが早く難航しさらに24日からの暴風により工事中の締め切り箇所押し流されてしまいました。

こうして2回目の堰止工事では、決壊箇所よりも住居側に下がったところで杭を打ち堰止することとなりましたが、水の流れが速く一気に塞き止める必要がありました。10月28日から粗朶や土俵などの準備を整え、何千人もの人手による決死的な作業が行われ11月7日、ついに堰止に成功。堤防が決壊してから実に38日ぶりのことでした。』

淀川資料館をみたあと、家にもどり荷物を取り「16日の12時までに動かします。この家については「家をせおって歩く」で検索」と書いて電話番号を添えた紙を屋根に貼り付けてGOENにチェックイン。そこでシャワーを浴びて洗濯をすませて、仮眠して、今に至る。

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Posted by satoshimurakami