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時間があいてしまった。今は8月27日12時16分。21日のお昼前に堅田教会を出発。さらに北を目指す。まだまだこの巨大な琵琶湖の半分もきていない。教会の敷地で眠った時は気候も良く、周りも静かでよく眠れたはずだけど、疲れが溜まっていることは薄々感じていた。結局竹内牧師には会えず、置き手紙を書いてドアのガラスに貼り付けて来た。

11時25分

琵琶湖大橋交差点の前で黒いTシャツの関西弁のおばちゃんに「コーヒー奢ろか、一杯」と言われる。「金沢今日中につくか?途中どっかとまらんの?」「いやあ、今日中は無理ですね。あと2週間以上かかるかもしれないです」というような会話をした。

12時40分ファミリーマート和邇南浜店で休憩。

14時14分志賀清林パーク沿いを歩いてる時、細かい雨が降っていることに気づく。

そして夕方17時過ぎに北小松の駅近くにあるセブンイレブンに到着。すぐ近くにキャンプ場があることがわかり、そこへいった。キャンプ場は琵琶湖の目の前でとても気持ちが良い。日中も木陰になりそうな松林で、地面は砂地。僕のほかに二つだけ小さなテントが貼られていた。白人の男性二人がそこに寝泊りしているようだった。キャンプ場の事務所は「巡回中。すぐ戻ります」という張り紙が貼ってあり無人だった。どこか勝手に置いて明日説明すればいいかと思って家を置くのに良い場所を探そうと思ったら、駐車場にシートを広げてなにか宴会をやっている三人組(30代くらいの男性一人と40代くらいの女性1人と30代くらいの女性1人)から声をかけられた。「なにそれ」と。僕は「事務所人いないんですかね」と言ったら男性が「5時でここの人帰っちゃうから、大丈夫だよ。明日も7時半までに出発すればお金払わずに泊まれるよ。奴らは8時ごろにくるから」といろいろ教えてくれた。「ありがとうございます」と言って立ち去ろうとしたら30代くらいの女性のほうが「お腹空いてない?いろいろあるよ。食べ物。おいで」とお誘いしてくれたので「ありがとうあとで行きます。」と返す。家を落ち着かせ、荷物を降ろして一通り回りの写真を撮ってその宴会に合流した。

もう数時間前から宴会をやっているらしく、いろいろ食べ物が出ていて女性2人(30代くらいの人の方は特に)は結構お酒が入っているようだった。

「ラオス料理って食べたことあります?」

「いやあ、ないかと思います」

「いまラオス料理の会やってるんですよ」

と男性が色々教えてくれたのだけど、彼は小松さんという人でこのイベントは不定期に開催している「小松亭」というものらしい。この三人は飲み屋で知り合った飲み友達で、こうして時々集まる。40代の女性の方はチエさん(ジャリンコチエで覚えてと言っていた)といい、もう1人の女性はのんこさんと自己紹介してくれた。小松さんは大学で淡水魚の研究をしているうちに内陸国であるラオスにたどり着き、魚の研究もしているのだけどラオス料理がとても美味しいということで、ラオス料理も勉強している(数日前までラオスにいたらしい)。ラオスでは必需品というお米を炊く道具や食べ物をすり潰しながら混ぜるための鉢のような道具をつかって、持って来た食材で色々作流だけでなく、琵琶湖でその場で捕まえたというフナや鮎も調理し、他に亀の爪や生キクラゲなどが並んでいる。彼はなんとも不思議な居心地の良いオーラを醸し出していて、しかも僕と同い年だった。

小松亭はラオス料理だけじゃなくて寿司のケータリングなどもやっているらしく「お店は出さないんですか?」と聞いたらチエさんが「ちょうどその話もしてたの」と言う。小松さんは「やってみたいんですけどね」と。彼は近々お店を出しそうな気がする。

小松さんは僕の家を見て

「網戸はないんですね」

-「ないんですよー。つけたいんですね。夏は特に」

「網戸大事ですよね。」

とか、「リュックが上にぶら下げられるようになってるのは居住スペースの確保のためですよね。」など色々と鋭い指摘をする。彼も色々経験してきているんだろう。

「寝るスペースが大事なので、寝るときは、全ての荷物が木のフレームにぶら下げられるようになってます。」と言ったら

「僕もぶら下げるの好きなんですよ。このへんにS字フック落ちてたと思うんですけど、これ好きなんですよ。日本の家ってぶら下げられるようにできてないじゃないですか」

ワタリガニをちぎって色々調味料を混ぜたものを出してくれたのだけどそれが韓国で食べたカンジャンケジャンに見た目がよく似ていてその話をしたら、「ラオス版ケジャンみたいなもので『ヤム ガプー マー』といいます。ワタリガニサラダというような意味です」とのこと。ビールも買って来てくれて、僕が来たということでもう一度乾杯してくれた。40代の女性のほうは(「わたしは小松くんやあんたと違って一般人だからさー」と言っていた)高校生の娘がいて、美大に入りたがっているという。「美大楽しいですよ」と言っておいた。30代の女性の方は大阪の美大のテキスタイル専攻を卒業していまはOLをやっていると言っていた。しかし彼女はとても酔っていて、そのうち車の助手席と運転席にまたがって倒れ込んで寝てしまった。年齢差もある3人組で不思議な距離感がありつつ親しそうにしている。僕も居心地が良かった。小松さんは最後に「握手をしてください」と言って握手をして、名刺を渡してくれた。彼らはすっかり暗くなったころに1台の車で帰っていった。別れ際はとても軽く、のんこさんとはろくに挨拶もしなかった。彼らはそれぞれ大津、大阪、京都に住んでいるらしい。後で何もなくなった駐車場を見ると少し寂しい気持ちになった。

小松さんが帰り際に、「ここシャワーありますよ」と、シャワーの場所を教えてくれた。僕はシャワー室があるのかなと思ってついていったがシャワー室ではなく、野外の砂地の上に立って浴びれるシャワーが2つ立っていた。完璧な野外なので、ここで浴びるのは勇気がいる・・。

「水道水がでるようになってるので、石鹸の一つでもあればかなり快適にシャワーが浴びれます」と小松さんは言う。「詳しいですね」と言ったら「僕ここめっちゃ来るんですよ」と。また「そこの錆びた階段の四段目に蜂の巣があるので気をつけてください」と。

湖は荒れている。海みたいだ。台風が近づいている影響かもしれない。4年前に来た時は嘘みたいに波がなかったのに。彼らと別れてから銭湯を探したが近くにはありそうもなく(ここらは湖と田んぼと山と少しの建物と道路、という景色だった。民家もさほど多くない。オフィスに使えそうな場所もなく、セブンイレブンだけがWiFiスポットとして存在している。この環境でキャンプ代2000円は高い)、意を決してあの野外シャワーを浴びることにした。こんなあからさまな野外で素っ裸になるのは初めての経験だったけど、まわりはかなり暗くて人通りもなく、なぜか水温もちょうどよくて気持ちが良かった。ただ途中、例の外国人二人組がすぐ近くを通りかかった時は緊張したが、彼らは何を気にする様子もなく過ぎ去っていった。

翌朝、小松さんの言った通り8時ごろにキャンプ場の事務所のおばちゃんが現れた。活動を説明したらおばちゃんは

「すごいな」と一通り感心したあと、「ここキャンプ場は7月から営業しててな、泊まるとお金かかってしまうねん。これ、まあタープみたいなもんやろ。タープ張って一泊二日は2000円かかってしまう。どうする?」と聞いてきた。どうすると聞かれても払うしかないのではと思い「払います」と言ってお金を支払った。「今日は1日ゆっくりしてな」と言ってくれた。ちなみにおばちゃんが来る前にあの白人二人のテントは跡形も無くなっていた。

小松さんもお酒を買ったし、僕も頻繁にキャンプ場とセブンイレブンを行き来したように、このキャンプ場の運営はあの近所のセブンイレブンにかなり支えられていると思う。またあのセブンイレブンにもキャンプ場からの客がきているはずだ。このキャンプ場とセブンイレブンの関係のように、家と街の関係を考えるのが自然だと思う。それがとてもよくわかる敷地だ。

松林にはベンチがない代わりに座るのにちょうど良い石がいくつか並んでいる。そこに座って湖を眺めていると、トンボの羽音、クマゼミとツクツクボウシ、ニイニイゼミと、雀の鳴き声。それと波の音が聞こえる。他には何も聞こえない。

気温があがってきて、またなぜか鼻水が止まらないという身体の不調をきたし、キャンプ場で絵を描いたり日記を書いたりするのがしんどくなって来たのでオフィスになりそうな場所を探したが近所にはなく、あのコメダ珈琲オフィスに行こうと電車に乗って堅田駅まで行った。洗濯機もあるのでついでに洗濯もできる。

洗濯を済ませ、その洗濯物をバッグに入れて抱えたままオフィスで仕事をし始めたのだけどなんだか体調が優れず、どこか快適な環境で仮眠を取る必要があると感じたので2時間ほどしてオフィスを出て、近くのラブホテルに行った。3300円ほど支払って3時間休憩できるラブホテルに1人で入り、お風呂を溜めて入ったあと眠った。ラブホテルなのでダブルベッド。

起きてもまだぐったりしてしまっていて、フロントで、「休憩のつもりで入ったのだけどこのまま泊まるといくらになるか」と聞いたら「17700円になります」と言われたので「チェックアウトしますわ」と言ってチェックアウト。近くの餃子の王将で餃子定食を食べてから北小松の家に戻った。帰って夕焼けを眺めながら湖沿いを音楽を聴きながら散歩。

19時10分。

三拍子の波の音。火星と月。真っ黒いシルエットになった松を風が揺らしている。

水面が月の光で光ってるように見えるけど水面のその場所が光っているわけではない。この水面が光っているのは僕がここに座っているからだ。僕が座っているここと、月のあいだにある水面が光っているのだ。他の場所に立っている人にはこの光る水面も暗く見えているのだ。とても不思議だ。この水面の月の光はわかりやすい。

光源から地面を伝って伸びてくるという意味では、影に似ている。でも影とは違う。影は、誰からみても同じ場所にある。でもこの光は何故僕にしか見えないんだろう。世界は僕がいる場所と光との間に立ち現れるものなんだろう。音も似たようなものなのか?ここできこえるこの音。波と風の音。と僕がここにいることとの関係性は?

と、こんなことを考えながら(当時のメモ)ぼーっとしていたらすこし元気を取り戻した。やはり必要なことばかりやっていると体によくない。

翌朝。

もしかしたら気圧のせいもあるのかもしれないけどとにかくからだがぐったりしてしまっている。バイクで人を二人後ろに乗せて家に向かうのだけど全然家にたどりつけず、後ろに載せていた2人がいなくなって代わりに箱が積まれており、その中に入っちゃったかと思って重さを確かめたりした。「現実とも思えないのだけど夢にしては長すぎる」と思い、もしかしたら俺はもう死んでしまったのか?とさえ思った。起きたら真っ赤な朝焼けの光が、家の中に差し込んでいた。僕は琵琶湖にいた。波の音がする。

これは限界だと感じ、キャンプ場の事務所の人が来るのを待って(あのおばちゃんの他に麦わら帽をかぶった清々しい若い男の人も来た)、家をここで1週間ほど預かってもらえないかという相談を持ちかけたら「じゃあ倉庫に入れよう」と即快諾してくれた。

8時4分

「一泊延泊したので、お金払います」と言ったらおばちゃんは

「このあとすぐ出るんやろ?延泊のお金はええんちゃう?」といってくれた。

「そんなん背負って、あんたあれやわ。感心するわ。はいどうぞ。きいつけてかえってください。」

男の人の方は「お名前と連絡先聞いといていいですか。何かあれば連絡しますし。はい。で、引き取り予定が、、28。で大丈夫ですか。か29日。ほな、預かっときます。きいつけてください。 」と笑顔で。救われた。

家を倉庫に入れ、一旦東京に行く。休む必要があるのと、これまで完成させていないドローイングが多すぎる。色々作業もたまっている・・。展覧会が近づいている・・。

北小松駅で駅員に京都方面は何時ですかと聞いたら、時間を教えてくれたあと「今日は台風の影響で15時以降運休になるかと思われますので早めのご帰宅をお願いします。」といわれた。6日間は帰宅しないです。と思ったが、わかりました。と言った。台風をギリギリで避けた形だ。

Posted by satoshimurakami