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おばあのお見舞いのために両親と沖縄に来ている。僕はいま母の実家に一人でいる。父と母は予約してあったホテルへ行った。僕は急遽沖縄行きを決めたので同じホテルが取れず、せっかくだからここに泊まりたいと言った。ここはおばあが眠っていた部屋らしい。蛍光灯のじーっという小さな音だけが聞こえていて他には何も聞こえない。庭と畑もある大きな家で、ほかに誰もいないので少しこわいなと最初は思ったけど、母が小さい頃から大勢の兄弟と両親と一緒に暮らしていた家だと思うと怖くなくなってきた。このおばあの部屋の入り口は襖なのだけど、さっき閉めようとしたらとても閉めにくかったので諦めた。おじいとおばあの二人暮らしになってからは、ほとんど閉めずに使っていた襖なのかもしれない。1階の他の部屋も襖は取り払われている。おばあは体重が半分まで落ちてしまっていて、今は点滴だけで命を繋いでいる状態らしい。明日みんなでお見舞いにいく。さっきまで一緒にいた母の姉の節子おばちゃんの話によると、普通に話はするのだけどときどきあっちの世界と交信するような状態らしい。向こうの世界に向かって何かを報告するように話すので節子おばさんが「神様と話してるの?」と聞くと、うんと答えてしばらくしてから、いや神様ではないと言ったり、そこに神様がくるからそこには座らないで、と言ったりするらしい。トイレとか、階段とか、表の作業台とか塀の飾りとか細々したものが、おそらくおじいの手作りで、色合いもカラフルで楽しくて、とても良い家だ。人が自分の手を動かしながら住んでいるという感じがする・・。沖縄の住宅街を歩くと、こういう手作りの良い家がたくさん見られる。家と住人のやりとりというか、何らかの"掛け合い"をみているような気持ちになる。小屋も作ったりする。明日おじいとも会うのだけどおじいもおばあも会うのは8年ぶりくらいになる。小さい時は遊んでもらったけど、そのときはまだ物心もろくについておらず、8年くらい前にあったときは85歳のお祝いの時で他に親戚も大勢いたので、おじいとおばあとはあまり話せなかった。でも三線を弾き語るおじいの姿ははっきり覚えていて、それを思い出すだけで十分に何かをもらったような気がする。沖縄の記憶の中の僕は、いつも大人数と一緒にいて宴会をしていたりバーベキューをやっていたりしている。いま僕がいるこの家が、その記憶の中で思い出される家よりも小さく感じる。小さい時に来た記憶しかないから、そのときのぼくの目線はいまよりもずっと低くて体も小さかったので大きく見えたのかもしれないけど、記憶の中では6畳以上はあった、宴会に使っていたテレビのある部屋は実際には4畳しかなかった。そしていまは誰も住んでいない。おばあは入院して、おじいはいまは老人ホームに入居している。こうやって日記を書いていると、この家の存在が僕の方に近づいてくれているような気がする。広い家に一人でいることがどんどん怖くなくなってくる。ただ、(僕はいまおばあが寝ていたというベッドにあぐらをかいているのだけど)正面にすこし大きな鏡があって、そこに自分の姿がうつっているのがすこしだけ気になる。

Posted by satoshimurakami