8月5日にキナーレに行って観てきた作品について書いてみたいと思います。

ボルタンスキーの作品「No man’s land」をじっくりと鑑賞して来ました。大量の服(多分全部古着)があって、大きな山になっていて、その上のクレーン(5本指)が服を掴んでは落とす動作を繰り返す作品で、周辺にはいろんな人の心臓音が結構おおきな音で鳴り響いています。
みた瞬間は、「服」とはわかりませんでした。何か布っぽいなあという程度でしたが、近づいて服ということが分かると、鳥肌が立ちました。そして直後にこの作品は「虐殺」がテーマだと思いました。
クレーンに持ち上げられた服が、風に揺れながら落とされるのを待っている様は、まるで人が死体置き場に放り投げられるようで、しかも心臓音が大きな音で鳴り響いているので、とても緊張した状態で鑑賞せざるを得ませんでした。
クレーンに持ち上げられた服は、その一枚一枚の形や色をはっきりと確認できますが、それが落とされた瞬間(この瞬間は毎回鳥肌がたってしまう程にショッキングな光景で、毎回「やめて!」と心の中で叫んでしまいます)に、それまで一枚一枚の服だったものは、「服の山」になってしまって、どこからがさっきの一枚なのかわからなくなってしまいます。これがとっても恐ろしい事で、なんていうか「"個"が"全体"に吸収される」とか、「"名前"を失って"数"になってしまう」というか、なんにしても大量に人が死んだ時のイメージを何度も何度も繰り返されて、目に焼き付いていきます。
それは、僕達が日々覚えては、すぐに霞んで忘れていく「記憶」をテーマにしているようでもあって、とにかくあのクレーンの手は、何か人を超えた存在であることはまちがいないです。
この作品は「居心地が良い」とは言えないです。でも、とっても多くの事を考えさせられます。「死」や「存在」「記憶」といった、ぼくたちにとって普遍的なテーマを、ボルタンスキーはずっと取り扱ってきてますが、通りかかる人が「無視できない」「考えざるを得ない」設置の仕方で、これだけのリアリティを持ってみせられるのは凄まじいことだと思います。
この作品は人によってはトラウマになってしまうかもしれません。でも、いま日本で観られるうちに絶対観にいった方が良いと思います。僕も何度でも行きたいです。
ゲルダ・シュタイナー&ヨルク・レンツリンガー
「ゴースト・サテライト」
これもよかったです。日用品や民芸品のゴミから「飛行機」とか「衛星」を思わせる立体を作り、空中に展開した作品。作家が見た越後妻有が、作品を通して重ねて見えてくるようでした。写真はキューピーの人形の首の部分にカブトムシの剥製(?)が刺さってある小品。
エルムグリーン&ドラッグセット「POWERLESS STRUCTURES,FIG.429」
これは笑ってしまいました。MUSEUMと書かれた箱(窓の部分は光がチカチカしている)が無造作に積み上げられた作品。いまという時代におけるホワイトキューブの展示スペースの役割に関して、かなりストレートに皮肉ってます。これを「大地の芸術祭」でやるんかいっていうツッコミを入れてしまいました。
他にもキナーレには素晴らしい作品がたくさんありました。特にクワクボリョウタさんの作品はとてもすばらしかったです。
それはまた次の機会にでも書きます。
村上

7月30日
今日は朝起きてすぐに、施設がわのカーテンを開けてみました。
施設のロビーから僕の家を見るとこのような感じで、僕の家の内部が全て見えてしまいます。いまもこの家の中でこの記事を書いていますが、窓越しにいつも見られているような感覚があり、生活に緊張感があります。下手にだらっと寝たりできません。。
基本的に午前中はカーテンをあけてパソコン仕事をしていたのですが、何度も訪問者が来てくれました。丸見えなのが面白いみたいです。
昼過ぎ、突然の雷雨がありました。バケツをひっくり返したような凄い雨で、僕の家は防水が完璧ではなかったようです。10か所くらい雨漏りしました。。水が落ちてくるところに鍋を置いたりコップを置いたりして対処しているのを、。ロビーのみんなが笑ってみていました。最終的に川田さんが一緒にやってくれて、なんとか凌ぎました。
この一件で、家と仲良くなれたような気がしました。

 

午後は、ボランティアルームの掃除やなんかをしていました。

 

そして夕方、大地の芸術祭の作品「スノーワーカーズ・バレエ/ミエレル・レーダーマン・ユケレス」を観に行きました。
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ミエレル・レーダーマン・ユケレスはニューヨークの女性作家で、フェミニストです。ニューヨークではゴミ収集車や、街の清掃員にフォーカスを当てた活動等をしているようです。
「スノーワーカーズ・バレエ」は、冬場にしか使わない除雪車13台が「ロミオとジュリエット」をモチーフにした劇を演じるというものです。
1時間ほどの公演でしたが、衝撃を受けました。とても良かった。十日町は国内でトップを争うくらい積雪量が多い所です。そんな土地で、冬の夜中人知れず除雪作業を行い、それを何年も繰り返し、まちを住み良くしてきた運転手達なので、運転の技術が半端じゃありませんでした。大きな除雪車が数センチ単位で近づいたり遠ざかったりして劇が進行していく様は、とてもダイナミックで、後半は鳥肌が立ちっぱなしでした。そして、これまで縁の下の力持ちだった運転手の皆さんを、この大きな舞台上に引き上げた作家の事を考えながら観ていたら、なんか泣けてしまいました。
公演が終わった後(たぶん)作家本人の誘導で、お客さんはみんな除雪車の運転手のところに行って話を聞いたり、車に乗せてもらったりしていました。運転手の皆さんが、なんだかヒーローのようでした。
途中、行進のルートを間違えたり、一台だけ除雪機の部分がまわってたり、一台だけ遅かったりと、何度かミスのようなものはありましたが、最初の「除雪車でバレエ」というアイデアがとても頼もしいので、ミスがあってもそれも含めて全部良く観えてしまいました。
彼女の作品は、ニューヨークでの「8500人の清掃員を相手に握手をしてお礼をする(うろおぼえ)」というものからも分かりますが、僕たちが暮らしている世界を未来へ続けていくために人知れず努力しているもの、に対してフォーカスを当てているのだと思います。フェミニストであるという自身の立場を動力源に作品を組み立てているのだと思います。
ぜひ観に行ってみてください。
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この日の夜、まほろばの駐車場で施設長の羽鳥さんたちと立ち話をしました。
特別養護老人ホームの「ユニットケア」という考え方について初めて知りました。
ユニットケアというのは、ユニット内(まほろばの里の場合は1ユニット10人くらい)で生活作業を分担しながら、入居者が自立していくことを目指す政策として、国がいろいろと法律を定めているようです。
なので、1ユニット内に入れる職員の数も法律で定められているらしく、まほろばの里の場合10人の入居者につき職員が大体1人ついているようです。しかし、ここには介護レベルが高い入居者がたくさんいるので、お皿洗いとか洗濯という作業を行える人が入居者の中にはいないそうです。なので結局、1人の職員が10人全員の面倒(おむつをかえるとか、お皿を洗うとか、洗濯をするとか)をみることになっています。とてもきつい仕事だと思いますが、国の「自立支援」という方針が定められてしまっているので、職員の数は増やせないのが現状です。
そうするとお皿洗いとか、洗濯とかっていう、いわば「生活のために最低限必要なこと」だけで手一杯になってしまって、外に散歩に行くとか、ドライブに連れて行くとかっていうことができなくなってしまい、結果的に入居者は「自分の寝室と食堂の往復」のような生活になってしまい、ユニットから外に出ることが少なくなってしまっているそうです。
しかし僕達が施設の前に越してきて家をつくり、生活を始めたことによって、何人かの入居者は気になって下まで降りて来たり、外をのぞいたりして「生活の新しいパターン」ができてきたと羽鳥さんは言っていました。家が日々でき上がっていく様を「見ていて楽しい」と言ってくれる人もいたそうです。
これは僕個人としては大変嬉しいことです。早く自分の家を施設館内のロビーに入れて、より入居者や職員の方と近い距離で生活していきたいなと思いました。
ここで作品を成り立たせるためのキーワードはこの「新しいパターン」とか「日々できあがっていくリズム」だと思いました。
7月31日
いよいよ明日から8月です。今日はもろもろの「お客さんを迎える体制づくり」をしました。
まず、インフォメーションボードをつくりました。
阿部君の家の壁にあります。ここに×日町の地図と、スタンプラリー台紙(スタンプラリーやります)、チラシ、イベント情報などをまとめていきます。
加えて、6人それぞれがつくった作品の即売なども行っていきます。
それと、×日町掲示板を施設の通路につくりました。
これは職員と入居者の方むけのインフォメーションボードです。

今は×日町についてと、メンバーの紹介、「余っていたら譲ってください」リスト等がはってあります。フライパンと食器を募集中なのでどなたか譲ってください。。かわりに、僕達から素敵なグッズをプレゼント致します。

今日の夕方、かわきたの手打ちそば師匠の中沢さんが観にきて、お米をたくさん寄付してくれました。とてもたくさんです。しかもかなりの高級米です。これは何かで恩返ししないといけないと思いました。
村上