×日町って一体なんだったのか。

まず僕がチラシに書いた「×日町について」という文章をここに引用してみる。

『田舎を訪れたときに電車に乗って外を見ていると、とんでもない山奥に家が並んでいたりして、こんなところにも生活があるんだなと感心することがあります。

この国にはいろんな土地があって、いたるところに人が住んでいます。そして、各地にはそれぞれに受け継がれてきた土地の雰囲気とか、ルールがあるのだと思います。

去年の震災のあと、僕のまわりで人が引っ越したという話をよく聞きました。テレビのニュースでも、たくさんの人が移住しているというニュースをよく見ます。

それぞれの引越し先で、人と出会ったり、それまでの生活とのギャップを感じたりするのだと思います。そして引っ越した人達と、それを受け入れる人達とが影響を与え合いながら、お互いに歩み寄っていくのだと思います。(中略)

そんな折に、新潟県十日町で新しくオープンする特別養護老人ホームで、芸術祭に合わせてなにか企画をやってくれないか、というお話を頂きました。

老人ホームとは、僕たち若者(!)にとっては全く未知の世界です。

移住して、新しいルールの中に入っていき、影響を与え合うこと。この機会を活かして、それを形にしてみたいと思いました。

そこで僕たちは、3ヶ月ほど移住してみることにしました。

ただし部屋を借りて引っ越すのではなく、自分たちが住む家から作って、住むことにしました。人が越してきたということを分かりやすく見せるためです。

これは僕達自らが移住者となり、十日町の特別養護老人ホームのそばで生活し、地域と関わっていく過程を記述しながら、6人のメンバーがそれぞれの方法で制作発表を行っていくプロジェクトです。』

 

ちょっとテキトーに簡単にして説明してみるとこれは「人が移住し、そこに馴染む過程で相互に与えあう影響を記録しながら、作品を制作していくというプロジェクト」で、一番大切なのは「地域」と「特別養護老人ホーム」の間に「×日町」が出現するということ。

×日町は 期間限定で出現して、複数の人が「地域」と「老人ホーム」の間に住むところ。

期間限定なので、「それまではなかった」→「それが出現し、しばらく存在した」→「それがなくなった」という段階がある。そこで生まれるのは「対比」であって、「相対化」だ。「地域」と「老人ホーム」と「僕達」の、相対関係がそこで生まれる。そこで生まれる一番大事なものは「生活形態の相対化」。

とここまで書いたところで、ちょっと頭がからまってきたので、いったんやめます。また明日以降に書きます。。ちょっと上の話は飛躍しすぎたかも。

 

村上

僕が大学3年生くらいのとき、それまで受けて来た建築学科での授業や「建築」の考え方や、まわりの人達に対する違和感に我慢できなくなって、現代美術のジャンルを借りて作品をつくろうとしたり、いろいろと文章を書きはじめた時期があった。

作品をつくろうとしたときの、最初のモチベーションは「これまでに一度でも、ちゃんと"他人と話せた"ことがあったか」ということだった。

いままで「なんでこういう表現をしているの?」という質問受けるたびに「僕は"人と話すのが苦手"で、「どうやったら人とコミュニケーションが取れるかを考えてみた」みたいな(ちょっと適当な)答えをしてきたけど、それは正確にはすこし違う。僕は、たぶん小学生くらいのときから「いままで"ちゃんと人と話せた"事がない」という感覚があった。僕は人と話していて、自分が話すタイミングの時に、「もっと良い言葉があるんじゃないか」とか「明日になったら事情が変わってるんじゃないか」とかいろいろ考えてしまって、テンポよく話すことができなくて相手をイライラさせることが多々あって、いつも「今回もちゃんと話せなかった」とか「あのときこう言っておけば良かった」とか、細かい事で後悔する事が、ものすごくたくさんあった。一日に何回も。

それで「自分は人と話すのが苦手」って、自分自身で思い込んでしまった部分がある。

そこから「他人と"ちゃんと話す"にはどうしたらいいのか」って考えはじめた。僕は、他人と最初に話す時に相手が「自分より社会的身分が高い人か」「どんな友人と付き合っているのか」「~のリテラシーがありそうかどうか」みたいなことを意識せずにはいられないことに気がついた。そして、そのせいで言葉が詰まってうまく話ができないことに気がついた。

というか、僕達という主体は誰しもが、生まれて、成長して、今に至るまでに、交流する相手を(無意識も含めて)選択してきていると思うし、自分が所属していて心地よいクラスタを選んでいると思う。

そうやってそれぞれの主体(人)は自分が所属するクラスタの中で仕事や友人をみつけて、生きていくのだと思う。国が違ったり、文化が違ったり言語が違っても同じだと思う。そうやって人にはそれぞれの仕事に伴う社会的な責任が伴ってきて、その口から出る言葉は、その主体の完全オリジナルのものではなくて、いろんなしがらみや、責任や人生や文化の背景から出てくるものだと思う。

(ちょっと話が逸れるけど、僕達は人と相対して話すとき「相手を選ぶ」ということを絶対にする。相手を見て言葉や話題を選ぶ。でも例えば「ツイッター」は、相対した相手に発言するものではないから、話題や、選ぶ言葉に"その人らしさ"みたいなものがでやすい。ここにツイッターの面白さがあるような気がする)

そんなことを考えてるうちに、「それぞれの社会的背景や責任は全部どっかにおいといて、フラットな関係でみんなと話す場」ができないかと考えはじめた。それで

・「知らない人飲み会」/2009年:知らない人だけで一晩飲み明かす会。これは"オフ会"とか"合コン"とは違って、夜に10人くらいで集まるんだけど、全員が、自分以外の9人が全員初対面という状況で朝まで飲む、という、かなり無茶な飲み会。

・「自分の事は棚に上げて、翌日には全部忘れる飲み会」:僕は「こいつにこう言いたい」と思った時に「自分はどうなんだ」と考えてしまい、それで発言がストップしてしまうので、この場限りでは、みんな自分の事は棚にあげて、何かを批判したり、悪口を言うことを積極的にやっていこうという飲み会。

等を企画したのだけど、どれもうまくいかなかった。なぜなら、どちらも「居酒屋」で行ったから。居酒屋にいったら、そのお店の雰囲気にみんな包まれてしまうし、「居酒屋で出やすい話題」という"話題のヒエラルキー"もあって、うまくいかなかった。(あと「知らない人飲み会」は、人がうまく集まらず「2人1組が4~5組」という状態になってしまった。だからこれはもう一回やってみたいと思ってる。「表現」として。)

既存の空間でやると、そこの雰囲気に少なからず影響してしまうので、「人が集まる場所」からつくらないといけないと思った。そこでやったのが2010年の松戸アートラインプロジェクトの中で行った「松戸家」という作品だった。

 

http://satoshimurakami.net/project/松戸家/

これは1ヶ月間、僕自身が滞在しながら"持ち寄り形式の鍋"を朝から晩まで行うというもの。ここでは僕はホストのような役割で、新しく来たお客さんに既に居たお客さんのことを紹介したり、みんなに鍋をよそったりする係だった。

初対面の人が集まって、鍋を食べながらお互いの自己紹介をする場面を何度も見ているうちに「これは良い場になった!」と思った。日が経つにつれて常連さんができて、普段の生活では話すことのない人同士が、松戸家で何度も再会して近況報告をしたりするのを見ているのも楽しかった。

 

これをやっているころに"フェスティバルトーキョー"の「パブリックドメイン」という演劇を観た。

それは広場に集められた観客にヘッドフォンが渡されて、そこから「あなたは東京生まれですか?そうなら、"右"に5歩進んでください」という個人向けの質問がいくつも出されて、観客がグループ分けされて、最終的に演出家のつくったシナリオの中に組み込まれていくという"演劇"で、体験して衝撃を受けた。

その演出家Roger Bernatがインタビューで「劇場とは、そのコミュニティがお互いの関係性について意識的になる場」と話していた。

僕は彼が、「松戸家」でやりたかったことと事と同じような事を言っていると思った。それは「自分は人からどう見られ、自分は人のことをどう見ている」のかを見つめなおすということで、"社会の中の自分の立ち位置を自覚するための場"ということだと思った。

「社会の中の自分の立ち位置を自覚する場」ということはつまり、「同じ質問をされた時の自分の答えと、みんなの答えの違い」とか「見ず知らずの人と同じ環境に置かれた時に、切り出す話題の違い」「振る舞いの違い」などを自覚する場を演出するということだと思った。

その演出をするために、松戸家で大切だったポイントは『"村上慧"という、外から来た人間によって(半ば無責任に)用意された場である』ということ。

つまりこれは、松戸のコミュニティに属していない村上慧という人間だから成立した作品だった。

 

ちょっと話が飛ぶけど、現代美術家のイリヤ・カバコフは蝿の研究をしていて、蝿の生態を作品にしたりしている。カバコフが蝿に興味を持つのは「汚いものにも綺麗なものにも平等に停まるから」。つまり、僕達人間にとって例えば「食べ物」と「糞」は「綺麗で大切なもの」と「汚くて不要なもの」だけど、蝿にとっては「食べ物」も「糞」も同じように視界に移るし、同じように停まる。そうやって人間の社会システムの様々な階層を突き破って縦横無尽に飛び回る蝿という生き物に対してとっても興味があるらしい。

 

僕は松戸家を経て「僕自身が、この"カバコフの蝿"のような存在であらなければ」と思った。「ある種、誰にとっても外部の存在」であって「誰にとってもパブリックな存在」であらなければと思った。

そんなことを考えて次のプロジェクト作品「引っ越しと定住を繰り返す生活(仮)」をやった。(ここまでにいくつか作品はあるのだけど割愛する)

http://satoshimurakami.net/video/

この生活の記録は映像作品になっているのだけど、その編集で大切にしたことは「僕自身の物語にするのではなくて、僕を通して、僕が関わった人たちの物語を垣間見るような映像にすること」だった。それはつまり、僕が関わったそれぞれの人たち(主体たち)の個人的な物語を、他のみんなの物語とおなじ土台に並べて眺める映像にするということ。僕が家を移動させて生活したのは、僕自身が"カバコフの蝿"のような存在(あるいは各地を訪ね歩いていろいろな土地の物語を語り歩いた琵琶法師のような存在)になるためだった。

 

このころの作品にもうひとつ「部屋のめがね」というのがある。

http://satoshimurakami.net/artworks/部屋のめがねシリーズ/

(関係ないけど、このシリーズの新作を7月に一個、かなり良いやつを作ったのだけど、それは写真を撮影する前に売れてしまって、見せられないのが悔しい。いま見ると、ここに載ってる作品はどれもちょっと、「もうちょっとやれよ」って思ってしまいますw。そんな感じです)

 これはいろんな人の部屋を模型にして、それに眼鏡の眼鏡の柄を付けて「その部屋の窓から外の景色を見るようにする眼鏡」だ。これも上に書いた「自分は人からどう見られ、自分は人のことをどう見ているのか」をモノでやってみた作品だった。

 

 

 

そんなこんなを経て、またこのあとにいくつか作品をやったのだけど、それは割愛して、「×日町」について書いてみる。

 

と思ったのだけど遅くなってしまったので続きはまた明日書きます。

 

 

×日町に関しては、アーティストの松下徹さんから×日町の感想を聞いたのが助けになって、考えを言語化することができました。トーリーさんに感謝致します。

×日町のポイントはやっぱり"カバコフの蝿"と、そして"ある生活形態を相対化させる"こと。